第16話 2009年9月11日

2014年7月14日      STORY FOR 5 YEARS      Tagged with:



九月。本間君が僕たちを誘ったその日から一年が経とうという節目の月。そろそろ暦を変えた方がいいんじゃないかと思うぐらい、決まりきったように今年も残暑は厳しく、たい焼き屋にとって売上げが伸び悩む夏はもう少し続きそうだった。

四人で一緒に住み始めてから四ヶ月、たい焼き屋の八王子店がオープンしてからは三ヶ月のこの折、琢也君が引っ越すこととなった。神奈川に出す新店舗の為である。

 

「四人で飲むこともしばらく出来ないから」と取って付けたようなことを本間君が言い、八王子に越してきてからほぼ毎日一緒にご飯を食べたテーブルを囲んで、僕たちはちょっとした酒盛りをした。

毎日へとへとで帰ってくる僕たちは、誰か来客がある時を除いては家で一緒に飲んだりはしなかったし、節約のため外へ飲みに出掛けることもほとんどなかった。しばらく出来ないも何も四人で飲むなんて一体いつぶりなんだろうなと、そんなことを考えながら僕は飲み終わったばかりの缶ビールを手元で軽く潰した。

 

飲みはじまってはみたものの、本間君と琢也君とミヤの三人では、まるで学級委員長同士の集まりみたいに、不思議と会話が続かない様子だった。四ヶ月も一緒に住んで…と僕にはそれが少し可笑しく、もうしばらく黙っていることにした。

 

三人の様子を微笑ましく伺いつつ、ゆっくりとこの三ヶ月を思い出す。

経験のない僕たちが飲食店舗を、しかも世間の流行のど真ん中にある繁盛店を運営するのは、想像通りというか、たいへん労力を要するものだった。 その上での店舗展開であるわけだから、生活のリズムが一定する感覚は、ここしばらく感じていない気がする。

 

 

「専務から電話がありました。とにかく急げ、と」

 

琢也君が毎夜恒例のミーティングでそう言ったのが六月の半ばで、それから僕たちの店舗展開が動き出した。

八王子店をオープンさせる前から「ひとまず今年中に四店舗、つまり一人一店舗やな」と専務から言われており、とにかく利益を上げたい僕たちも勿論その提案にやぶさかではなかった。…ではなかったものの、まさか開店から一ヶ月も経たないうちに話が持ち出されるとは思っておらず、僕たちはおのおの静かに仰天した。日々の売上だってまだ安定しないしオペレーションでの課題も多く残されている。このタイミングで店舗展開なんて可能なのだろうか、と。

 

しかし後にして思えばこのとき、大分に帰った専務が外から火をつけてくれて本当によかった。何にせよ、流行りものの商売である。流行する手応えを感じるならばすぐさま先手を打ち、先行者利益が通用する内に来春の世界一周企画に向けての貯金分を稼いでおかねばならないのだ。

 

実際にその後、夏が来るまでに白いたい焼きの噂は東京だけでなく全国的な広まりを見せ、テレビなどのメディアで幾度も取り上げられるようになった。もし僕たちが手一杯にならない頃を見計らっていたとしたら、それはいつになっていたろうか。少なくとも今年中に四店舗を展開する目標はかなり達成困難になっていただろう。

とにかくそんな風にして、僕たちの生活と仕事の中に、新店舗探しが加わってきたのである。

 

 

展開の為に動き出したこの頃は、それまで朝5時半に起きていたのを6時ごろまで遅らせるようになっていた。売上は引き続き順調ではあったもののさすがにオープン直後ほどではなかったし、何より僕たちが少しずつ慣れて来ていたのだ。

 本間君は毎日自分の眠気についてを声高に訴えながら起きて来て、琢也君は対照的に分厚い眼鏡の向こうに視線を隠し、人と話さずぐずぐず起きて来た。ミヤは二人よりも早く起きてきぱきと昼の弁当を準備している。そして僕はそうして始まる不調和な朝の風景を、なんとか日常として処理することが出来るようになっていた。 経験の蓄積である。基本的に気を揉む必要はなく、ただ傍観していればいいのだ。

 

例えば、琢也君は必ず朝食で食べるパンの耳を残し、本間君はそれに関して必ず声を荒げて注意する。そのうちミヤは食パンを買わなくなった。実に上手いこと回っている。

さすがにこれは、というときだけ僕が関係のない軽口でも叩けば、だいたいその朝の調子の「ずれ」みたいなものは、平常に帰納するための準備運動へと置き換えられていった。

 

その後本間君と琢也君と僕の三人は7時前に家を出発し、自転車に乗って店へと向かう。8時にはアルバイトさんがやってくるので、それまでの時間で焼き台の準備をせねばならないのだ。

ただでさえ暑い焼き台の前だが、室温自体も夏に向かって徐々に上昇している。温度計は準備を初めてすぐに30度を越し、昼になる頃には40度も越えてしまうのだがそれどころではない。とにかく戦争なのだ。16時、17時になって品切れの商品が出始めても、朝から続く行列は途絶えること無く、少ないときでも3〜4人は並んでいる。19時の営業終了まで種類薄で粘ってようやく完売の案内が出せる、という具合だった。家に帰ってご飯を食べる頃には21時を越えてしまう。

そしてさらにはその後、営業の振り返りと世界一周企画についてのミーティングが続く。とにかく次の朝6時までの睡眠を如何に上質なものにするかという課題にも、僕らは熱心に取り組まねばならなかった。

 

 

そこに来て新店舗探しは、毎日1人〜2人が10時頃から18時頃まで店から抜けて、商圏の違うエリアに車で出かけて不動産屋を回るというもの。毎日動きっぱなしの生活だったため、この新店舗探しは計らずとも、それぞれにとってよい息抜きになっていた。

不慣れな仕事に加え、朝から晩まで右に左に誰かいる環境で、休み無し。言葉にするとそれだけではあるのだが、実際にはなかなか辛い部分もある。八王子店が開店してからのこの一ヶ月弱の間は特に、僕たちは相手に干渉し易い、有り体に言えば、表立って苛立ちを顔に出したり感情を人にぶつけ易い時期だったように思う。

 

一つ一つの事象は思い出してみればそんなに大したことじゃない。ミヤが琢也君を揶揄するような口調でぽろっと言ってしまったり、それを本間君が強く叱責したり、店長の琢也君に伺いを立てるために商品の発注のタイミングをずらしたミヤに対して「なんでいいと思ってたのにやらんかったん?仕事ですよ。真面目にやってください」と琢也君が必要以上に煽ったり、本間君と琢也君はそれこそしょっちょう。

 

もちろん僕だってある。

それぞれ半休を取れるようになって来た頃「休みを貰うのが申し訳ない」と言った本間君に対し僕が「それ、この前僕が同じこと言ったら『そんなこと思う必要ねえよ』って言ってたじゃん」と返すと「いや、それは俺が思うか思わないかだから」と自己中心的な返答をされてはあ?と思っていたりした。

親しき仲にも礼儀ありと思っている僕はいつの間にか本間君や琢也君にお前と呼ばれることも密やかに許せなく思っており、面倒な感情を抱え込むまいと仕事以外で避けたりもしていた。

 

要するにみんな気が立っていたのだ。疲れているから不必要に他人の言葉や態度に傷つけられまいとしてつい自分の発言や態度が攻撃性を帯びる。23歳にもなって、僕らのそのちょっとした小競り合いはまるで中学生のようであった。

 

リズムやルールの違う人たちが集まって仕事と生活を共にする、というのは楽ではない。それに、元々の性質が「週末には必ず集まって飲む仲良し四人」でもなければ「そこで知り合った新たな他人同士」でもない(それらの場合はそれらの場合で面倒ごとはあるのだろうが)。

僕たちはちょうど本音と建前の間に立っており、どれぐらい自分を出せばいいのか、また相手はどの程度踏み込んで話されるのを良しとしているのか、その辺りの機微が全然まったく、わからなかったのだ。

 

そんな時期だったからこそ、店舗展開は息抜きとしてだけでなく、大きな共通の目標としても、結果的に僕たちを関係を整えることとなった。

 

 

実際に展開の話が動いたのは七月の末からである。

専務が東京にやって来たタイミングで、八王子店の時と同様、僕たちが目星をつけていた物件を幾つか専務に見せ、「うん、ここはいいな」という専務の御眼鏡にかなった物件二店舗分を、その日のうちに申し込みした。

一ヶ月間の工事期間を経て、八王子から車で20分程離れた国道16号線沿いに東京昭島店を開店。こちらには本間君が店長として行くことになった。「二店舗目は俺にやらせてほしい、やってみたい」と言う本間君自身の決定だった。

 

残りのもう一店舗、小田急線愛甲石田駅から車で少し行ったところにある物件は、昭島店から期間を三週間ほどずらし厚木店として開店させることに決めた。 厚木店までは八王子から通うのが難しい離れた立地である上、昭島店オープンから日も浅くこちらから人も駆り出しづらいだろうという理由で、店長業と飲食店経験が一番長い琢也君が店長を務めることとなった。

これに伴い、八王子店の店長業はミヤに引き継がれ、僕は今後各店を回りながら四店舗目の物件探していく、という決定がされた。 六月末に本間君から預けられた総合旅行業務取扱管理者(旅行会社を開くには誰かがこの資格を持っていないといけない)の試験も十月に迫っているが、まあなんとか平行させるしかない。泣き言を言っても責任を取れる人間は自分以外にいなかった。

 

と、まあこんな風に僕たちのたい焼き屋生活最初の三ヶ月が過ぎ、琢也君はそういった理由で、家を出て厚木店の近くで新たにアパートを契約することになったのだった。

 

 

引っ越しの決定はだいぶ前にされていたものの、実際に明日から琢也君がいなくなると思うと多少は寂しいものである。起床時間の五分前になると隣の部屋からけたたましく鳴り込んでくる目覚ましの音も、ようやく気にならなくなってきたところであった。

 

僕はリビングから琢也君の部屋を見越してベランダを一瞥した。弾まない会話に堪え兼ねて、というわけではないのだろうが、そこでは宴席から脱出した琢也君と本間君が肩を並べて煙草を吸っていた。しばらく帰って来ないので何かまあ話す話があるのだろう。

そういえば、と僕は思い出した。ちょっと前にも僕は同じような光景を目にしていた。あれは琢也君の誕生日だから七月の上旬。そうか、四人で飲むというのはもしかしたらその時以来なのだ。そう思い当たった。

 

 

…その日は確かビールをもう既に何本か空け、宴会も仕舞いという時間に二人が煙草を吸いに行ったのだと思う。二人は僕の部屋側のベランダに立っていた(ベランダへは僕か琢也君の部屋のどちらかから行けるようになっているのだ)。僕は自分の部屋で会話を聞きながら二人の後ろ姿を見ていた。

 

本間君が煙を吐き出してから、一拍置いて言う。「まだまだだな」

琢也君もそれに続くように同じ動作をしてから答える。「まだまだまだまだ、ですよ」

 

僕はただ「いい日だなあ、」とか思いながらそんな二人をにやにやと見ていた。外から聞こえる電車の音とか昼の暑さを忘れるぐらいにすっと吹き抜ける風とか、この夜の感じを全部そのまま切り取っておきたいと思った。

 

今度は琢也君が話はじめる。「死んでから『ちょっとやり過ぎたなー』って後悔するぐらいがちょうどいいわ」

本間君が答える。「なんかそれ、オーストラリアでも言ってなー。なんだっけ、『幸せだ』って」

 

この日二人は酔っており、会話自体ちょっと支離滅裂なところがあった。あるいは、オーストラリアで共に生活した二人にしか分からない脈絡なのかもしれないけれど。

琢也君が「うん」と噛み締めるように静かに首肯して「幸せやなあ」と最後にまたそう言った。それ以上二人は話さなかった。

 

 

今日は会話が聞こえる位置にはいないので二人が何を話しているかは知らない。引っ越してからの店舗間の連絡に関する算段かもしれないし、また琢也君が幸せだなどと豪語しているかもしれない。

琢也君は普段は絶対言わない割に酔っぱらうとこういうことを言ってしまう。そんな癖があるのを知ったのは、こうして一緒に生活してきたからこそなのだ。そして、それが彼の本心だということが分かるのも。

 

厚木店が出来れば店はついに三店舗ということになる。小競り合いの件じゃないけれど、僕たちは足踏みしてばかりなようで、こうして思い出しみてると関係も、仕事も、過ごした時間の分ちゃんと前を向いて前進しているのだと思える。 そして、その実感がまた楔となる。そう思えるのは、それはやはり、いい日なのだった。

 

ベランダで二人が煙草を片付け始めるのが分かる。二人の戻り際に鉢合う前に、と僕は二本しか飲まなかった自分の分の缶ビールだけ捨てて、先に部屋へと戻ることにした。

今会うのはなんだか照れくさい気がしていたし、しばらく飲めなくなるからとか、そんな会自体僕たちにはやっぱり相応しくないのだ。どちらにしろ締めの言葉なんてきっと元々ありゃしない。あれ、なんだ寝ちゃったのか、とか素っ気ないぐらいで終えて、明日からまた続いていくのだ。似てない僕らの、同じような生活が。

 

 

 

 

※この記事は当時書かれていたブログや日記を元に、また新たに書かれています。