二度目のミーティングは一回目から一週間後に三人で行なわれ、行動計画を立てようという話になった。相変わらずSkypeを使っての顔の見えないミーティングである。

 

本間君はこの三月で大学を卒業するので東京にいる僕たちも遅くとも三月中にはそれぞれの会社を辞め、四月からは一緒に動けるようにと考えていた。四月以降いざ起業に向けて存分に活動できるようになった際、どのような生活をしてどのように事業の計画を練るのか、起業資金はどうやって準備するのか、そういうことに関しての話し合いだった。僕も琢也君もその時は明確なアイデアは持ち合わせておらず、ひとまず考えられる選択肢を挙げて行く長期戦を予想していたのだが、それに反して本間君は具体的な提案をした。

 

「日本のいろんな場所を周りながら働いて一年で300万貯めた人を知ってる。色んな土地のことを知れるしお金も貯められる。俺たちにとってもベストの選択なんじゃないかな」

 

落ち着いた口調での提案だった。僕は「おぉ」と口に出して少しだけ驚いた…ように見せた。ワーキングホリデービザでオーストラリアを一周していた本間君にとってはなんでもない話なのかもしれないが、僕にとっては住む世界が違い過ぎた為上手い驚き方すら分からなかった。琢也君は黙って次の台詞を待っていた。

本間君はその資金獲得の手段を指して「季節労働」という言葉を使ったが詳細は不明とのことだった。後になってインターネットで調べてみたが検索はされず、どうやら単語として定着しているものではなく本間君の知人の造語か、もしくはその仲間内だけで使っている俗称なのだろう。

 

琢也君は「それが何処でいくら稼いだのか具体的な話が分からんけん信用し切れんな。云万円稼いだ〜なんて話、誇張することだっていくらでもできるし」とその話に揺動される様子は無く、僕もその通りだな、と思った。

しかしかといって他に良い案も上がらず、その日はもう少し具体的に話を聞いてもらうよう本間君に頼み次の第三回のミーティングで改めて情報をシェアしよう、ということになった。

 

その後本間君が聞いてきた話によると、季節労働とは大体二〜三ヶ月のスパンで季節毎に需要が高まる地域で住み込みのバイトをしてお金を稼ぐ方法であるらしかった。その知人は春にお茶の工場で働き、夏には北海道でシャケ漁、秋〜冬は蜜柑農家や沖縄のサトウキビ農家で収穫を手伝う、というルートで一年を過ごしたそうである。

基本はどこも住み込みで募集している上、場所によっては食事が出るところもあるらしくお金さえ使わなければしっかり貯まる、とまあそういう話だった。

 

旅を仕事にしようとしている僕たちにとって、例えば三人で一つの家を借りて昼夜それぞれにバイトする場合と比べると、家賃食費等のメリットだけでなく日本の各地方を見れる良さも確かにありそうだった。デメリットはいくら貯まるか試算しづらいことや働き口の確保の不安定性だろう。社会的な信用も怪しい。

しかし貯めた金額が300万であることは間違いないということであったし信用出来る人であるとのことだった。その上、春からの働き口となるお茶工場の社長に口をきいてくれるという話が決め手となって、四月からお金を稼ぐ方法としてこの「季節労働」が暫定的に決定された。

僕たちも本間君の知人と同じようにひとり300万稼ぐことができたとしたら三人で900万。うまくいけば1000万にだって手が届くかもしれない。勿論そんなのは絵に描いた餅だという気持ちもあったが「スタートさえ切れれば始まりはきっとこんなものかもしれないな」と僕は思っていた。甘い考えだ、という主張はどちらにせよ明確な否定にはなり得ない。

 

普通ではない選択をした、という実感があった。どうなるかわからないという状況踏み出すことに浮かれていたのもあったのだと思う。口に出すと安っぽくなってしまうので誰も言わなかったが、ひとつ決断して大きいことを始めようというのだからお金だって周囲が驚く方法で貯めてやろうとどこかで思っていたのだ。後に何人かの大人が指摘した「楽しそうだからといってしてしまった安易な選択」というよりも、普通でない不安定な状況に向かって足を踏み出す奔放さに憧れていたという方がより正しい。

 

 

本間君は最後に「あくまでも割のいいバイトというわけではないらしい。体力的にも精神的にも本当に過酷な方法だって言ってた」と僕らに伝えた。僕は少し身がすくむ思いだったが琢也君が「まあそれは大丈夫やろ」と即答したので「う、うん」と賛同の意思をなんとか見せた。それはそうだ、起業する為に奮起しようとしている場面で「体力に自信が無いのでいやそれはちょっと」とは勿論言えようはずもない。

 

「よし。じゃあ早速春からのお茶工場を紹介してもらう方向で話をしてみるよ」と本間君がまとめて、次のミーティングを待つことになった。

 

**

 

一週間後、通算で四度目のミーティングの日。僕は会社を出て帰路についていた。

武蔵小金井駅で電車を降り、高架化工事の影響で駅をぐるりと一周するように回ってからアパートへと向かう。

 

変な話だが「本間君の計画に乗ることで今の仕事も辞めることになる」と自分の中で決まった後、入社してから今まで何度も通っていた僕の帰り道は突然有限のものに変化したように思えた。

会社で仕事をしているときは退職後のことに気を取られることはなかった。未だ職場の人にそのことを打ち明けていないせいもあるのだろう。しかしその分、会社の明かりから離れてこの薄暗い帰り道を歩いていると、ここを歩く度に次の未だ知らない将来に近づいていくのだ、という気に僕はなった。

 

どういう形かは分からないけれど、今とは違う自分を想像して静かに興奮してしまうこともよくあった。今日も例外ではない。少し落ち着こうと思い、帰り道も半分まで来たあたりから、前回までのミーティングの内容を思い返しながら歩くことにした。

 

 

アパートに着いた僕はスーツをハンガーに掛けながらPCを立ち上げた。しん、と静かな部屋にカタカタと響くコンピューターの起動のリズムを聞きながら、僕は部屋着に着替えた。毎日行なっている手慣れた作業。僕は少しだけ音楽を掛けてミーティングが始まる22時を待つことにした。

 

—22時。スカイプを通して本間君から着信が入り、僕と琢也君が出た。「聞こえる?」「聞こえるよ」「じゃあ始めますか」「はいよ」と通過儀礼のようなやり取りを終え、僕は誰かが話し出すのを待った。話し始めるのは大抵本間君で、今回も例に漏れず彼が始めた。

 

 

「二人とも、ちょっと話があるんだ」

 

 

しかし、いつもと違って切り出し方が唐突だった。何らかの発表がされることを予感した。

 

 

「オレ、世界一周に行きたい」

 

 

「えっ」と僕が動揺を隠せず声を漏らし、「はあ!?」と琢也君が動揺を隠さずに声を上げた。本間君は僕らの反応には応えず、一瞬の沈黙が訪れた。

 

とりあえず何から聞けばいいのやら、僕は頭の中を整理した。前回ようやく決まったに見えた季節労働の行動計画はどうなってしまったのか、そもそも起業するために動くとかそういう話も一時の思いつきだったのか。驚きは不安に変わり始めていた。パソコンの向こうからは琢也君のため息が聞こえてきそうだった。

 

 

*この記事は、当時書かれていたブログや日記を元に新たに書かれています。