本間君は僕たち二人の困惑を無視して言葉を接いだ。

 

「日本もいいんだけど俺は世界一周がしたい。行きたい奴みんな連れて。こうさ、まっすぐ続く道をさ、日本人10人ぐらいがみんなバックパック背負って歩くんだよ」

 

説明を加えた彼だったがその嬉々とした話し振りはかえって僕たちの不安を煽った。「日本もいいんだけど」というのは季節労働のことを指しているのだろうと僕は推測した。働きながらではあるものの、旅行業を始める前の僕たちにとって日本各地を飛び回ることができるのは絶好のチャンスだ。そうして決まったはずの季節労働案をこうもあっさりと棄却して「世界一周がしたい」とはいくらなんでも奔放過ぎやしないだろうか。疑問を伝えるべく僕は口を開いた。

 

「えっと…ちょっといきなりでよく分からないんだけど、季節労働はどうするの?」

 

「え?」と本間君は僕の疑問に疑問で返した。彼はほんの一瞬思案を巡らしたのち「あぁ」と頷いた。僕の質問の意図を捉えたようだった。

 

「いやそうじゃなくて、季節労働は計画通りやるよ。この前の話通り一年間で目標は貯金1000万円。世界一周はその後の話で、起業する前にその貯めたお金を使って世界一周しようってこと」

 

その後の説明をさらに聞いてみると本間君の主張はつまり、「お金が貯まったところで、メンバー全員が旅行とは違う『旅』を肌で実感し言葉で伝えられなければ、成熟した今の旅行業界に割り込んではいけないだろう」ということだった。初めからそこから説明すればもっと分かりやすいのに…と僕は思ったが、もしかしたらこれはわざとかもしれない、と思い直した。自分のペースに引き込む手段。計算した上でやっているわけではなく本能的にやっていそうで余計に怖い。

 

「まあ言ってることはわかるしその通りだとも思う。でもあまりイメージ湧かないなあ」

 

と僕は正直に今思っていることを伝えた。旅の感覚が実感出来ていないということに関してはつまり海外経験のない僕が一番に該当するわけだが、「世界一周」とポンと言われても、個人的に行ってみたい国の風景は思い浮かんでもその旅の感覚とやらを掴む想像はどうにも描きづらかった。

 

「イメージは湧かなくてもいいんだよ。行ったら分かるかどうかですら確証のある話じゃないし。ただもし掴めなかったらそのまま仕事にすることはできない。丸腰で戦地には行けない」

 

ふむ、と僕は思った。確かにその通りなんだけれど、取らぬ狸の皮算用というか、腰の落ち着かない印象がどうにも拭えなかった。本間君はそのまま続ける。

 

「それに、ただ旅の感覚を実感するためだけじゃない。俺たちは旅を仕事にするってことだったり、それに関して責任を持つってことだったりが未だよく分かってないと思うんだ。だから自分たち以外に参加者がいるって環境を作ってそこで俺たちがどうできるかってのも知っておく必要がある」

 

彼は僕たち以外の「行きたい人」を「参加者」として募るつもりであるようだった。友達や仲間と行く訳ではなく、僕たち企画側に対して参加者を存在させることが、今後自分たちの旅行業を描いていく為の準備にも繋がる、という理屈である。

 

「…いやぁ、それはキビしいやろ」

 

これまで黙って聞いていた琢也君が口を開いた。「キビしい」という表現を使うところが彼らしい。言ってることは分かるし、そりゃあできるならそうしたいし尊重したいけれど…そんな感情がこもった言葉だ。

僕たち二人はこの突飛な提案においそれと承諾する訳も無く、突然現れた議題は当然のように膠着した。

 

僕も琢也君も本間君が言っていることは自分たちなりに理解していた。今はまだ言葉として表せる「これ」というものがないのである。旅行業はただの手段であり、その芯が「旅を価値観を伝える」では曖昧すぎる。行動をするための指針なり目標なりそういったものがはっきりした言葉になっていないのだ。こういったものは机に向かってノートにやりたいことをつらつらと書き貯めて見えてくるものではないし、ましてや需要に対して足りていない供給を満たすためのビジネスでもないので付け焼き刃というわけにも行かない。

 

本間君が探す「これ」とはつまり商品にとってはコンセプトになり、会社にとっては理念になり得るものである。言葉にする、というのは一見簡単に思えて非常に難しい大事な作業だ。形の無いものに言葉という枠を与え、主観的な感情を客観的な価値へと一般化する。その過程を本間君は世界一周で見つけたいと思っている。ここまでは理解していたのだが、貯めたお金があるのに起業を先延ばしにする上に「その代わりに世界一周いってきます!」というのがいささか楽天的すぎるんじゃないのかという気持ちもあった。

 

琢也君は「無謀だ」と反対、しかし本間君も「絶対に必要だ」とお互い譲らなかった。僕はというとどちらとも言えず、パソコンの前でのミーティングではあるものの終始腕を組みながらどうしたものかと考えていた。同時に、この世界一周どうこうの枠を飛び越えて、本間君にこれだけは聞いておかねばならないな、という事項が今日のやりとりを通して僕の中に浮かび上がっていたので、そのことに対しても思考の容量を使っていた。

 

一時間ほどの議論ののち最終的には、反対の理由が「無理」「無謀」であるならそれを判断するのはもっと後でもいいんじゃないか、と世界一周が押し切られる形となった。後になって現実的な選択を取るにしても、初めから選択自体を狭めるのは勿体ないという少しメタ的な収束の方法だった。

 

「ホントに無謀かどうか、甘いのかどうか、お金がないとか時間がないとか、それはやってみてホントにダメだったとき考えよう。そんでもしダメでも俺たちはみんな立て直せるよ」

 

本間君は自信満々でそう言い放った。琢也君は「しょうがねえなあ」というような応え方をしたが、言葉とは裏腹に世界一周に行くことにはまんざらでもなさそうな様子が彼の語気から伝わって来た。

 

 

 

ミーティングを終えて数時間後、僕は本間君に電話を掛けた。先ほど浮かんだ疑問をぶつける為である。本間君は直ぐに電話に出た。

 

「あのさ、聞きたいことがあるんだ。本間君はさ、本当に起業したいの?それともただ旅したいだけなの?」

 

本間君を見習って、なるべく言葉を少なく、直球で聞くことにした。旅の価値観を伝えるだ起業するだなんだ言ってるけれどそれはこれからもずっと働かずに楽しいことをするためのただの建前、大義名分なんじゃないの?という意味合いの、内面をえぐる嫌な質問だった。本間君の答え方次第では僕の今回への計画への気持ちはごっそり削がれてしまうかうもしれない、と予見していたので僕にとっても緊張する質問であった。

 

「ああ、そうか、そうだね。いいこと聞いてくれたよ、いっしー」

 

彼の質問に対する第一声は僕の想像したどんなものでもなく、僕は少し怯んだ。

 

「みんなと旅をしたい。世界一周に関してだってそうで、これは本当で素直な気持ち。でも旅をし続けたいわけじゃない。世間とか社会から離れて放浪したいわけじゃない。社会に根付いて旅を創りたい。伝えたいものがあるから、だから起業したい。これも本当。率直にそう思う」

 

聞きようによっては十分に厭味な質問に対して真っ向から返されてしまった。これに関して僕は特に応えず、軽く息を吸って緊張状態を続けたまま聞いた。

 

「なら世界一周に関してはどっちが中心にあるんだろう?自分が旅したい気持ちと起業のためのモデリング、どっちが建前でどっちが本音?」

 

「建前と本音ね、ちょっと待って考えるから。…うん、そうだな。やっぱどっちも本音だわ」

 

一瞬僕は黙って、はあ、と吸った分の息をまとめて深く吐いた。言い方も含め、十分ではないものの納得できる回答だった。

 

「うん、OK。分かりました、ありがとう」

 

と言って僕は電話を切った。本間君も「あ、もういいの。おうまたね」とそんな調子だった。

僕は、ああもう参ったなあ、という気持ちで、笑ってしまうほどだった。笑いながら、つくづく変わった人だな、と改めて思い知らされていた。

 

**

 

 

季節労働の期間一年を経た後に世界一周することを僕たち三人が決めたその数日後、「参加保留」となっていたミヤから本間君の元に電話がかかってきた。

 

「決めた。やります。私、ビビってただけだった」

 

改めて話し合うようなことはせず、僕らはそのままミヤを迎え入れた。季節労働、そして世界一周が決まった話をするとミヤはそのさらに数日後に、誰に頼まれたわけでもないのに世界一周の企画書を作り「これをひな形に作っていきましょう」と僕らに発表した。僕たち男三人はその仕事の早さと順応性に感嘆の声を上げた。チームが加速するのを全員が意識した瞬間だった。

 

10月も最終週に突入していた。僕が参加することを決めてから未だ一ヶ月しか経っていなかった。

 

 

*この記事は、当時書かれていたブログや日記を元に、新たに書かれています。