事務所に戻った僕らは応接のために置かれたソファに腰掛け、四月からの雇用に関して社長と改めて話をした。ここからが本題だった。

 

僕たちの要望は

 

①4月1日から働かせてもらいたいこと  ②住み込みで働かせてもらいたいこと  ③仕事の内容に変化があってもいいから四人で働かせてもらいたいこと

 

この三つ。③に関しては社長の懸念があることも聞いていたが、世界一周や事業の話し合いをするためになんとかクリアしたい条件でもあった。

 

社長は一つずつ確認していった。

 

「4月1日から、というのは問題ないな。うん、問題ない。住み込みも可能。三食分もこちらで出せる。休みに関してはまあ、おいおい相談ということになるかな」

 

「ありがとうございます」と、本間君が答える。

 

僕たちを働かせる意志があることが、社長のその物言いには明確に含まれていた。今回の訪問は働かせてもらえるかどうかを確約させるためのものだったので、社長のこの発言は少なからず僕たちを安心させた。

他のメンバーに目配せでもしてその安心を伝えたいところだったが、社長がどんな人が読みづらい分あくまでも固い表情を守ることにし、そのまま社長の方を向いていた。

 

社長は腕組みをしながら何かを考え、目を瞑ったまま重たげに口を開いた。

 

「しかし、宮嶌さん、は女の子だから…」

 

やはり、と思う。案の定社長もそこが一番の気がかりなのだ。しかしここで押さねば直接出向いた意味は無い。

 

「手伝いでもなんでも、できることは全部やります」

 

顔を上げかけた社長の目を捉え、ミヤが真っすぐに申し出た。

社長が面食らったように息を飲み、僕らは四人とも、少しだけ前に傾くような姿勢になっていた。

ほんの一瞬間が置かれ、それから社長は納得したように目線を上げた。

 

「そうだな、うん、でも、まあ、いいか。ご飯とか掃除とか、他のことを手伝ってもらえばいいか。そうだな、よし!」

 

今まで曖昧だった社長の言葉に初めて生気を感じた。

たとえ決断のために社長が無理矢理奮起したのだとしても、それでも直接やって来てなければこうは言ってくれなかっただろう。僕らはここで初めてお互いに目を合わせ、軽く頷いた。

 

「ありがとうございます!」

 

声を揃えて言った。働き口の確保という懸念していた問題が一つ解消され、来春から資金稼ぎに向けて切られるスタートが僕ら以外の第三者によって初めて約束された瞬間だった。

 

日が傾き始めていた。僕たちは「細かい話に関して、どうすればいいかわからないことがあればまた連絡させていただきます」と言ってもう一度頭を下げ、社長とお茶を入れてくれた社長の奥さんに改めてお礼を言ってからお茶工場を後にした。

 

再びレンタカーを出発させ、坂を下る。その先に沈む夕日と綺麗に染められた小さな町が見え、この先四月から何度もここからこの美しい景色が見えるのかと思うと心が躍った。車内の空気も当然のように明るかった。僕らはそのまま今回の宿泊先である静岡のユースホステルへと向かうことにした。

 

 

 

 

ユースホステルには、違和感があった。

 

林道沿いに建つ白い建物。駅からは少し車を走らせねばならないが町が見えなくなるほどではない。アクセスが特別良い訳でも四方を緑に囲まれている訳でもないその立地は、旅を知らない僕にとってただ中途半端なようにしか感じられなかった。

けれどそこにはその時代にしか分からないような暗黙の了解があったのだろう。ユースホステルが流行った時代、若者は町では旅できなかったのかもしれない。少なくとも彼らの描く旅は。僕はそんなふうに想像してみた。

 

僕と、それからミヤも、ユースホステルに泊まるのはこれが初めてだった。部屋に荷物を置き軽く館内を回ってみる。中の設備はそれほど古い感じはしなかったが、掲示物や木札などところどころ時代を感じさせた。僕は小学生の頃に泊まった「青年自然の家」を思い出していた。靴の数から察するに、僕たち以外にもひとりかふたり泊まっている人はいるのかもしれない。

 

古めかしい机に年季の入ったクロスが敷かれた受付に戻ってみると先ほど静かな口調で館内案内をしてくれた管理人さんの姿は消えていた。そういえばどんな人だったろうか。僕はすでにその管理人さんの顔を忘れてしまっていた。

 

部屋に戻るとあぐらをかいていた本間君だけが僕の方に向き直り眉をひそめ言った。

 

「人、いねえな」

 

僕が聞いたこの宿に関しての最初の感想だった。

 

「まあ、こんなもんやろ」と琢也君が横になったまま言った。座布団を枕にして向こうを向いて寝ている。 ミヤは何も言わず荷物の整理をしていた。

 

ふうん、と本間君は組んだ足に視線を戻した。

 

自分の中に基準が無いので琢也君の言ったように「こういうものなのかな」と思う一方で、確かに物寂しい感じはしていた。しかもそれは人がいるとかいないとかそういう次元の話ではないように思う。

 

なんというか、場所に温度がなかった。

 

本間君がオーストラリアで泊まって衝撃を受けたという「バッパー」(バックパッカー用の安宿をそう呼ぶらしい)の話を聞いていたので余計にそう感じたのかもしれない。

ビリヤードを楽しむ若者も入ればウイスキーを傾けつつ談笑する老夫婦もいる。そんな活気にあふれた安宿がどの町でも息づいている。

そんな期待との差も僕のユースホステルへの違和感を助長しているのだろう。思い返してみれば着いてみてすぐ、本間君からもその空気は感じていた。

 

日本にはバックパッカーはほとんどないらしく、代わりに一回り以上の前の世代に流行ったユースホステルが今も全国に点在している。僕らが日本で旅行業を行う際、ホテルや旅館ではなく、全国の安宿と結びついた企画を立てて行こうという案が出ていたところだったので、初めて泊まったユースホステルでのこの物寂しい印象は、事業構想自体にも影を落としてしまうように思えた。

 

 

昼にいいニュースがあったにもかかわらず夜のミーティングはあまりうまくいかなかった。

いや、形だけ見れば上手く進んだのかもしれない。話し合わねばならない議題も全てこなせていた。

 

僕たちが感じた宿の物寂しさ故かどうかは分からないが、うわべを上手くなぞったようなそのミーティングはつまり、盛り上がりに欠けていたのだった。

 

ミーティングが終わるともう22時を回っていた。館内はちらほら電気が消えているところもあるようだ。酒を飲むような雰囲気でもなさそうだったので折角だから少し外でも歩こうかと思って玄関まで行くと、後ろから本間君に声を掛けられた。

 

「ちょっとさ、軽くコンビニでも行かない?」

 

いいよ、と頷き駐車場に止めてあるレンタカーに僕たちは乗り込んだ。林道を出て5分ぐらい行ったところにあるコンビニエンスストアに僕らは向かった。

 

お湯を入れたカップラーメンを運びながら駐車場の縁石に腰を下ろす。雪こそ降らないが気温がぐっと下がる時間。コンビニの前で本間君と並ぶと自然と大学時代が思い出される。

 

「今日のミーティングさ、どうだった?」

 

本間君がカップラーメンを啜りながら聞いて来た。僕はまだ言葉になっていない所感をうまく表現できず、十分に間を置かせてもらってから答えた。

 

「うん…なんだろう。議題は進んでるけど後で振り返ったら何も生まれてないんじゃないか、みたいなしっくりこない感じがあったかな」

 

「そう。そうなんだよな」

 

本間君は空を仰ぎ見て言った。町の明かりは昏い林に阻まれていた。僕らの後ろに明々と灯るコンビニの電光さえなければもっと綺麗に星が見えたのに、と思う。

 

「でもそれはきっと疲れてたっていうのもあるし、場所自体寂しい所だったってのも関係してるんじゃ…」と僕が途中まで言いかけて、「いや」と本間君がそれを遮った。

 

「それもあるのかもしれない。でもさ、違うんだよ。多分そうじゃない」

 

何かどきり、とした。何かこれから本質を突くような、そんな話が待ち構えていることが予感された。僕は黙って次の言葉を待った。

 

「俺は今日のミーティング、すごくうわすべりしてるような気がした。俺たちが四人になってしばらく経った。個人の仕事もはっきりしてきたし、ずっと不確定だった四月の働き口も今日ようやく確定した。俺たちは少しずつ慣れて来てるし事が進んでる。でもさ、

でも芯が無いんだよ。旅行業やりたいっていってるけど、旅を仕事にしたいって言ってるけど、何が旅なのか、何が楽しいのか…いや、楽しいっていったら違うな、何に価値を置くのか、そういうところが何にも定まってない。

それがバシッとはまってれば事業のミーティングについてだって世界一周についてだってもっと”こうしたい”ってのが出てくるはずだよ。そしたらこの旅自体、例え宿に活気がなくたって絶対楽しめるのに」

 

それは、僕が思っていたよりも広い範囲での話だった。口にも顔にも出さず(どうかな)と考えた。前半と後半では納得する箇所も深度もまるで違った。

 

「どこに価値を置いて旅を提供するかっていうのは、確かに、しっかり捉えなきゃならないと思う。本間君のいう旅ってなんなんだろう。どうして旅がいいと思うんだろう」

 

僕は言葉を選んでそう告げた。事業や計画にもっとはっきりとした芯が必要だとする関する前半部分への賛同と、ミーティングやチームづくりに関する後半部分を掘り下げるための質問とをどちらも包括するつもりだった。本間君は少し考えて答えた。

 

「まず、何度も言っているけど旅がいいって言いたいわけじゃない。いや、俺はいいと思ってるよ。でもそれを押し付けるつもりはない」

 

「わかるよ」

 

「うん。それは自由に決定できるのがいい。だからパッケージされない旅を作りたいんだし。自由、自らに由る選択ってのを大事にしたい」

 

「世に出そうとする以上、押し付けようが押し付けまいがひとつの提案にならざるを得ないけどね。決められてないのが決まってるって意味でのパッケージ。旅を売りにした企画旅行…うーんなんとも逆説的」

 

「うん」

 

「本間君の感覚でいいんだけど、いや、僕は旅してないしさ、いいと思うから旅に出るんだろうけど、なんで旅に出るの?」

 

「なんだろうな、視野が広がる瞬間というか、そういうと嘘臭いけど、感覚的にそれはある。旅に出るとさ、一人だからさ、感覚が研ぎすまされるんだよ。それが好き」

 

「たしかに。どこか放り出されるイメージ。自分で放り出してるんだろうけど」

 

「そう。だから今までの関係性とかなんもないの。自分一人」

 

「そういえば、旅に続くのって“出る”だよね」

 

「ああそうか。旅行は“行く”だわ」

 

「行くのって帰りが約束されてる」

 

「出る、は?既知の範囲の外ってことかな」

 

「捨てるに近いのかも。家を出る。町を出る。国を出る…帰りは必ずしも約束されてないのかも」

 

「言葉にとらわれる訳じゃないけど自然にそういう言葉が当てはまってくるってことはなんか意識の中で結びついてんのかも」

 

月が林の輪郭をなぞってゆっくりと移動するのを確認しながら、僕たちはそんな話をしばらくした。少し寒くなって来たのでレンタカーの中に戻り、その後も少しだけ話をしてから僕らは宿に戻った。ちょっとのつもりがずいぶん長くなってしまった。本間君と僕は残った二人に抜け出ててごめんと告げ、それから思い思いのタイミングで床に就いた。

 

 

静岡の二日目。宿をチェックアウトして東京方面に車を走らせた。昨日に引き続き冬らしい澄んだ晴天だった。

 

僕は昨夜の話を思い返していた。そこにはいくつかこの先のヒントになりそうなものがちりばめられている、そんな実感があった。

本間君も自分が話す中で靄がかかっていた部分が少し晴れたのか、陽気さを取り戻していた。

 

僕たちは車内でたまに冗談を言い合ったり、簡単なゲームをしたりした。途中に寄った定食屋のご飯はおいしかったし、山の空気は綺麗だし、途中車を降りて散歩もしたりした。

しかしこの旅は、僕らが仕事にするべき興味深い楽しさではぜんぜんなかった。

 

 

僕たちどういうチームになっていけばいいのだろう。友人関係の作り方とは、きっとぜんぜん違う。

本間君は昨日「俺たちはもっとこの旅自体、楽しめるはずだ」って言っていたけれど、本当のことを言うと僕はそこに関しては自信が持てなかった。

 

もっと言うと、僕たち四人はそれぞれ、誰かと連れ立って行く旅を楽しむ人にはならないんじゃないだろうかとそんな風に思っていた。 僕らは自分たち自身が仕事として旅をするチームではないのかもしれない、そんな雑感がまだ言葉になる前の意識の泉のような場所であてどなく漂っている。

 

いや、と頭を振る。

きっと、考えるのはもっと先でいいのだろう。実際に起業するとなった時に自ずと答えが出ているものだろう。今でさえ僕たちは変化し続けているのだから、その変化をしっかりと捉えていればいい。

 

夕暮れ過ぎ、最後の休憩を終えて車は東京に着こうとしていた。明日からは会社員としての自分も取り戻さねばならない。

前部座席の本間君と琢也君の間には、薄暗いながらも行くべき道が真っすぐに伸びていた。後部座席からその前方遠くを見遣りながら、次に四人で会えるのは会社を辞めてからになるのかもしれないな、と僕はそんなことを考えていた。

 

 

 

※この記事は当時書かれていたブログや日記を元に、また新たに書かれています。