大分に着いたのは午後になってからだった。麗らかな陽気の中、気持ちよく伸びた県道を走る。長時間の運転のわりに、みな疲れはさほど感じていないようだった。軽い興奮状態にあるからかもしれない。

意外な選択にはなったものの、ようやく起業を掛けての生活が始められる。そんな気勢と不安が入り混じった高揚感は、日差しの増した春の陽光によく混ざった。

 

市内に着いた僕たちは車を停め、ひとまず琢也君の実家にお邪魔させてもらうことにした。

玄関口にいた柴犬が琢也君に気がつきすっくと立ち上がると、琢也君も「ダンク〜!」と名前を呼んで駆け寄っていった。今までそんな琢也君のそんな嬉々とした表情を見たことがなかった僕たちは彼らのじゃれ合いを邪魔せぬようひとしきり眺めた後で中に入った。

 

リビングで荷物の整理をさせてもらっていると、間もなく琢也君のお母さんが帰って来た。

琢也君の父が専務を務める会社はたい焼き屋の他に本業で焼肉チェーンを営んでおり、琢也君のお母さんも日々店舗に入って忙しくしているとのこと。今日は僕らの到着に合わせて店を一時離れてきてくれたのだろう。僕たち三人は立ち上がりひとりひとり挨拶をした。

 

「いらっしゃい。仕事やけんな、慣れんこともあるかもしれんけど明日からたっぷり働かんといけんよ!」

 

音と音がしっかりと区切られた、はきはきとした言葉遣い。笑顔で全員に向けて話しながらひとりひとりに目を合わすような話し振り。僕たちは自然に襟を正した。

一言で表すと、琢也君のお母さんはとても溌剌としていた。そして、それに引っ張られるように体の中から気力が込み上げてきた。

 

それから琢也君のお母さんは思い出したように考える仕草をした。

 

「何ち呼んでもらうのがいいんやろう。あ、私のことね。一緒に働くこともあるやろうけん」

 

ふむ、と思ったが僕たちには答えられる質問ではないような気がして琢也君の方を向いた。が、琢也君は別にそこに助け舟を出すつもりはないようで特に関心のある顔はしていなかった。

 

「普段はねえさんっち呼ばれよんのやけどね、でも琢也の友達やけんねえさんっち言うのもねえ」

 

瞬間、これは大ヒントとばかりにハッとして本間君の方を見た。

 

「ねえさん。ねえさんでお願いします!」

 

案の定得心した様子の本間君がそう答えた。ぼくもそれしか無いと思った。元々誰が名付けたのか知らないが「ねえさん」しっくり来過ぎていた。

ねえさんは「そう?」と言って少し照れた風にふふんと笑った。

 

それから僕たちは研修先となる乙津店へと見学のため出掛けた。全国に増えつつある白いたい焼きチェーンの中でも日本一の売り上げを誇るという乙津店が一体どんな店舗なのか、どんな立地に在るのか、僕は道中思いを巡らせた。

乙津店の様子はこれまで琢也君から(正確には専務から)話を聞いているだけで写真すら見たことがなかった。

 

「あ、あれやな」

 

と運転席の琢也君が言った。

店までまだ随分あるというのに僕たちはそこに確かに店があることを認めることができた。

他には何も無いだだっぴろい駐車場の中に、やけに大きなカラフルな看板と店の前からずらりと並ぶ何十人の行列がどうしたって視界に入るからだった。

 

「うわ、すごい」

 

思わず声を漏らしていた。物件探しのときに専務がこだわった条件「車通りのある道沿いの視認性のいい場所」をまさか自分たちの目で証明させられるとは思いもしなかった。

 

駐車場に車を停めてから改めて店を確認するとそこは意外にも二つ並んだただのスーパーハウスだった。二つのうち道路側にある方のスーパーハウスで商品の提供を行っているようで、大きく掲げられた看板の他にも商品のパネルやのぼりで装飾がされている。

 

聞いていた通り、中にも外にも座って食べるようなスペースはなく、大きめに開口した窓が会計と受け渡しのカウンターを兼ねているようだ。注文後会計をして横にずれて待っていると順に呼ばれて中から商品が渡される、そういうシンプルなシステムでたい焼きは提供されていた。

 

外からの見学を終えた僕たちは裏口の方に周り乙津店の店長に挨拶をした。

 

店の中から登場したその人は岩本さんというらしく、がっしりとした体躯でまさにたい焼き屋の店長という風貌だった。岩本店長は元は焼き肉屋の方で働いていた社員さんとのことで、つまり琢也君は元々知り合いなのだという。

岩本店長とはほとんど挨拶だけになってしまったが、うはは、とこれまた豪勢な笑いをする人だった。そして、専務やねえさんと同じようにやはり眼光が鋭かった。

明日から僕たちは岩本店長の元で7日間修行することになる。ねえさんがはじめに言った通り、確かにたっぷりと、甘くない研修期間を過ごせそうだった。

 

僕たちはそれから一度桐村家に帰り、専務やねえさんとともに夜ご飯を頂いて早めに就寝した。

 

 

翌朝、僕たちは起きて直ぐに昨夜下ろしてもらった黒地のTシャツに着替えた。背中には赤の文字で店名、胸の当たりには握り拳ほどの大きさで白のたい焼きがあしらわれている。

朝に準備をして仕事に出かける、というのがまず一ヶ月ぶりだ。もちろん緊張感はあるが会社に向かう時とは全てが違うように思えた。腰に巻くサロンと頭に巻くタオルをそれぞれに準備し、僕たちは四人で車に乗り込んだ。初日はねえさんも同行した。

 

乙津店に着くと外に岩本店長が居たので、僕たちは並んで挨拶をした。

 

「おはようございます。今日からよろしくお願いします」

 

「おーう、びしびし行くけん頑張ってもらわんとなあ」

 

じろり、と、本当に気持ちの準備ができているかを覗きこむようにしてから岩本店長は不敵な笑みで笑った。その様子を見た僕は既に伸びているはず背筋を更に伸ばした。

店長はその後直ぐに、なあ琢也?と琢也君の方を向き直り先ほどよりも人間味のある笑顔でニッと笑い直し、続けてだはは、と笑った。

こういった遣り取りが恒例なのか「はい」と返事した琢也君は声に出さず表情だけで笑っていた。もしかするとこう見えて岩本店長は案外お茶目な人なのかもしれない。

 

僕たちは店内に入りパートさん達にも挨拶をした。中では数人が既に準備を始めていた。

 

たいやき屋というと注文が入ってから焼いて提供、という流れをイメージするが僕たちが聞かされた白いたい焼き店の営業はそれとは全く異なる。「冷めても美味しい」とキャッチコピーで唄っている白いたい焼きは基本的には冷めた状態で提供するとのことだった。

昨日の時点で実際に冷めているものと温かいものの二つを食べたが、確かに冷めた状態でも美味しいし「たい焼き」の先入観を忘れ全く新しいお菓子と思って食べるとむしろ冷めた状態の方が味に相応しいようにさえ思える。

 

そんな理由もあって、店舗自体は11時からのオープンにも関わらず8時から順次たい焼きを焼き、冷まし、注文後すぐに提供出来る状態に一定数仕込んでオープンを迎えるのだという。

実際問題、その時間から仕込んでおかなければ途中で焼くのがが間に合わず売り切れ状態になってしまうということにも驚かされるし、ただ提供するだけの状態なのにあれだけの大行列を作っている事態もまた凄い。

 

パートさんたちへの挨拶を終え、8時をちょうど過ぎたぐらいの時間になった。僕たち四人は岩本店長の指示でまず二人ずつの組みに分かれた。

本間君とミヤがねえさんから会計と商品の提供を教えてもらい、僕と琢也君が店長から生地の準備やあんの補充など補助となる動きを教えてもらう。焼き台やレジ、たい焼きが入るコンテナがあるのは店舗側のスーパーハウスで、冷蔵庫や生地を練るドリルがあるのはバックヤード側のスーパーハウスだったので僕たちはちょうど、空間ごと二手に分かれる形となった。

バックヤードに入った後で、ミヤと本間君が居る店舗側の方をちらと伺った琢也君が僕の方に向きなおり、

 

「やっぱり俺たちは支える側やな、いっしー」

 

と得意満面といった様子で語った。僕はそういう括りも悪くないかと思い、そうだね、とだけ答えた。

 

補助の動きは実際に全てこなすとなると文字通り目が回るようだった。

たい焼きの「耳」と呼ばれる余分な皮の部分を切って商品をストックする準備をしていると、焼くために必要な生地が無くなる。粉を出して生地の準備をしていると今度はたい焼きの中身となる餡のストックがなくなる。袋を切って餡のストックを作っていると耳を切らねばならないたい焼きが机の上にずらりと並んでいる、という状況が繰り返し何度もやってくる。

 

店舗側では次々にたい焼きが焼かれていたし、僕たちはとにかく同じ動きを繰り返えすことで業務を身体に叩き込んで行くしかなかった。

はっと気がつくと開店時間が近づいており、パートさんの数は店舗側のスーパーハウスも合わせて10人を越えていた。10坪も無いプレハブに10人以上が詰め、分業で流れ作業を行っている。たい焼き屋というよりも小さなたい焼き工場と表現した方が近い、と僕は思った。

 

開店時間の11時が過ぎ、忙しさは更に苛烈を極めた。僕に外の様子を確認しに行く余裕は無かったが店長の話ではもう結構な数の人が並んでいるらしい。

ドリルで練られたバケツ一杯の生地を持って店舗側に行くと、ミヤが商品をパックに詰めるため動き回っている。注文票を確認しながらコンテナが並ぶ3Mほどの距離を行ったり来たりするその動きは反復横跳びの応用系のように見えた。注文を受けてミヤにオーダーを流す本間君のレジ姿は、深刻に似合っていなかった。

 

 

夕方になってから僕と琢也君もレジと提供を覚え、ミヤと本間君が補助をこなし、全員が焼き以外の一通りの仕事を教えてもらって閉店時間を迎えた。しかし閉店時間の19時になってもお客さんは来続けていたので、結局営業時間を30分伸ばしてから岩本店長の指揮で店を閉めることにした。

僕は今日覚えたことを思い返そうと思い一日を振り返ってみたが、特に午後になってからはほとんどの時間を自動的に動いていたみたいに具体的な内容がよく思い出せなかった。

 

暗くなった駐車場のほうを見ながらタオルを外す。一日目だというのに生地や餡が飛んでサロンやTシャツはひどい状態だった。

 

「どうやった、いっしー?疲れたか?」

 

一人でひと息ついていることろに、後ろから声を掛けられた。岩本店長だ。

自分たちで店をしようというのに一日目から疲れましたなんて言うのは気合いが足らないような気がしたが、虚勢を張る元気もなかった僕は「いやあ、ははは」と苦笑いではぐらかした。

 

店長は僕の心持ちを察したのかそれ以上は何も言わず少し間を置いてだはは、と笑った。

変な話だが、それでなんだかほっとしたところがあった。岩本店長は何か安心感を与えてくれる人だった。

 

 

僕らは最後にロスになった白いたい焼きを二つ貰い、半分ずつに割って食べた。昨日試食した味と変わらないはずなのに、疲れているためか甘さがじわりと美味しかった。

 

 

 

 

そうして一週間が過ぎ、遂に研修最終日を迎えた。

 

ゴールデンウィークを挟み、乙津店は相変わらず売れ続けていた。売れた個数で言って毎日が2000個を優に越えるペース。雨の日であっても傘を差してお客さんが並ぶほどの繁盛っぷりで一番売れた日はなんと3000個を越えた。

そんな忙しさの中、僕たちは昼休み以外ほとんど休憩も取らずに8時〜19時まで7日連続で働いた。さすがに昨日あたりからそれぞれ体になんらかの異常を来している。

ミヤは段差の上りが辛いぐらい足に疲労を感じていたし、琢也君は後半毎日腰の痛みを訴えていた。僕は右手が軽く硬直状態で握ったり開いたりがうまくできないほどだった。

 

唯一体調万全で乗り切るかに見えた本間君も研修終了日の今日、朝からどうも元気が無かった。

昼時が過ぎておやつの時間を前に忙しくなる午後2時過ぎ、店内がバタバタとしてくるさなか、たいやきの耳を切っていた僕を本間君が呼んだ。

 

「いっしー!」

 

何かトラブルか、と思いながらも忙しさのピークにいた僕は

 

「なにー!」

 

と疑問詞だけで応じた。

 

「俺、研修終わるの、寂しい・・・」

 

帰ってからやってくれ!と思ったがなるほど朝から元気が無いのはこれかと思い当たる。ならば体調的には絶好調だったのだろう。

 

さて肝心の研修の成果はというと、焼きはまだ若干不安が残るものの提供とレジ、補助については問題なくこなせるようになってきていた。

それぞれ得意不得意はあるもののあとは実際に東京で店を始めてから慣れていけば十分だろう。八王子店オープン後の一週間は専務やねえさんが手伝いにきてくれることになったのでその点も安心だ。

 

ただその一方で、仕事に慣れれば慣れたであのやり方はどうだなどと僕たちは他人の動きが気になるようになっていた。

口に出す出さないに関わらず何かしら疑問や不満を持っている時は仕事中であっても雰囲気で分かるものだ。僕たちには悪意無く伝える技術も変に深読みせず額面通りに受け取る技量も未だ無いのだ、と今回に初めて共に仕事する中で気づかされた。

もちろん店の忙しさのせいもあるし、横並びの関係が綻ばせるところもあるのだろう。それは「トモダチと仕事なんてできるか」と、いままで散々言われ続けて来たことでもあった。

 

そして自分にどんどん余裕が無くなっていく忙しさの中、僕たちのそんなちぐはぐした仕事の仕方を解消してくれていたのは岩本店長やパートさんの存在だった。

 

店にとっては足手まといでしかない僕たちを厳しく温かく迎え入れてくれた乙津店の人たちは、クレームにつながるような失敗があったときも、そのことに対して、からりと正しく叱る。

仮に僕たちしかいない状況で同じことが起こったらそうはいかないだろう。失敗そのものに対してではなく、その人に対して問責してしまったかもしれない。

 

「店っちゅーのも最終的には人間性やけんな」

 

研修最終日の片付けを終え、岩本店長がそう話をしてくれた。

 

その言葉を受けた僕たちは、帰り際、自分たちに余裕が無くなっていたことと、そんな僕たちを店長やパートさんが引っ張り上げていてくれたことに関して銘々に意見を出して振り返った。

 

僕たちは、一日目から最後までずっと「シャキッとせんか!」と伝えられ続けていたように思う。言葉で言われたわけではなく、みんながそうやって仕事をしているから僕たちもそういう気持ちになる

不器用でも一生懸命やったらいいと思う。誰のやり方がどうだとか、ぐじぐじと思っているのがどうしようもなく格好悪い。

気持ちのいい空気が乙津店に流れているのはそういうわけなのだろう。最後になってやっとわかった。

 

僕たちは店を出る前にお世話になったパートさんたちにそれぞれ手紙を書き残した。

 

「なんだか子どもっぽいかな」と僕が言ったが「いや、これが一番伝わるでしょ」と本間君が言った。ミヤと琢也君も同意した。

 

 

その後桐村家に寄って、専務とねえさんと岩本店長とで飲みに行った。琢也君の二人の弟も一緒にやって来た。

専務は相変わらずビールを気持ちよく煽り、「波瀾万丈じゃねえと人生面白くねえ。一回ぐらいやってみろ」と豪語した。僕たちはそれをエールとして受け取り、本間君が高く笑って「はい」と答えた。

 

7日間で学んだのはたい焼きやの運営だけではない。専務とねえさんからも、どんな経営者の元に人が着いていくのかを、その背中を見せてもらった気がした。

 

 

「昔ね、ちょっと専務と言い合いになったことがあったんよ」と、宴席でねえさんが話を切り出した。

 

「結婚した当時はほんとに忙しくて、子育てしながら、店で一緒に働きながら、従業員のパンツまで洗ってたんよ」

 

ねえさんが話を続け、僕たちは頷いて聞いていた。

 

「そんな生活が嫌になって『私は何のために結婚したん!?』っち聞いたんよ。そしたらこの人『そんなもん従業員のためじゃー!』って!」

 

琢也君も、本間君も、それを聞いてみんな笑った。

 

「専務は家族と従業員を食わせるためにほんとに誰よりも頑張っちょったんやけど、そういうところは不器用やし怒りっぽいけんね。私はよく喧嘩して泣きよった。けど当時頑張ったけん今幸せに暮らせるんよ」

 

ねえさんはどこか嬉しそうな話し振りだった。専務は何を言う訳でもなくただ笑って聞いていた。

 

酒の席は盛り上がってきた辺りで琢也君がトイレに立ったがなかなか戻らない。遅いな、と思っていると察した様子のねえさんが言った。

 

「煙草吸っちょんのやろうね。今になっても絶対専務の前じゃ吸わんよ。」

 

「吸いよんのはわかっちょんのやけどな」

 

専務もそう言ってフフフと小さく笑っていた。

 

 

なんというか突然に、すごく「家族」を、僕は感じた。

店が最終的に人間性だというのならそこで働く人のその温かみの源はこういうところにあるのかもしれない。

専務の会社は、専務を含めた兄弟三人が取締役となり動かしている。家族なりの兄弟なりの結束というのがあるのだろう。もちろん、だからこその難しさも。

 

 

ならば僕たちは一体どういうチームになるのだろう。

研修を終え、僕たちはもう、東京へと帰るのだ。

 

 

※この記事は当時書かれていたブログや日記を元に、また新たに書かれています。