白いたい焼き屋のオープンを二日後に控えた5月21日。僕たちは家を出て店へと向かっていた。たい焼き屋の店舗工事は先月末頃より始まっており、現時点ではすでにそのほとんどが終了していた。

僕たちが今日四人全員で向かったのは、二日後から僕たちの元で働くアルバイトスタッフを迎え入れ、オープン前のトレーニング研修をするためだった。

 

 

遡ること二週間ほど前、大分での修行を終え東京に帰ってきた僕たちは、疲れを癒すためにその翌日を各自の休みに充てた。

たい焼き屋以外にも、それぞれ世界一周のタスクがあったが、「全員がしっかり休むように」と本間君から方針が出されていたのでこの日は仕事を一切しないことになっていた。

 

昼過ぎまでを計画的に寝過ごし、休日としての順調なスタートを切った僕だったが、起きてしまった後は目の前に現れた膨大な時間に対しての良策が全く思い浮かばず、既に読み終わった本を本棚から出して読むなどとても効率的とは言えない過ごし方をした(もちろん休みとしてはむしろそれが健全だと言う意見もあるだろうが)。

本の内容がほとんど頭に入らなかったのは単に再読の為というわけではないだろう。たった一ヶ月あまりのこの暮らしの中で手持ちの仕事は緩やかに生活リズムへと浸食していき、僕は休日を有意義に過ごすことに明らかに不慣れになっていた。

 

夜になってから琢也君と飲みに出掛けた。本間君はまだ帰ってきていなかったしミヤはミヤで部屋にこもっていたので、琢也君とは単にタイミングがあったのだ。とはいえ、二人で出かけるのは実に久しぶりで嬉しかった。

会社に勤めている頃、同じ沿線上に住んでいた僕たちは月に一回ぐらいのペースで飲みに出かけ、僕たちのささかやな計画に関してくだを巻いては大言を並べていた。まだ半年ぐらいしか経っていないのにずいぶんと昔のことのようである。

 

ちなみに琢也君は出不精であるくせに酒に誘って断られたことは今まで一度も無い。今日もまた然り、である。入った店は初めてだったがビールはしっかり冷えていた。

 

「こう、今の状態でぽっかり時間ができて休んでいいよ、って言われてもなにしていいか分からないよね」

 

二つ置かれたビールジョッキを低く掲げてありきたりな乾杯をしてから、僕が言っても仕方の無い話で切り出す。

 

「いいやん。別にそれで」

 

琢也君は想像した通りの正論でそっけなく返しぐいっと一口目を飲んだ。もしかすると、こうやって本日の無意義性を肯定してもらうために為に琢也君を飲みに誘ったのかもしれない。僕は「いやそうだけどさ」と笑って有耶無耶にしながら彼には気づかれぬよう胸を撫で下ろした。

 

普段情にほだされることのない琢也君だが、酒が進むとなんだかんだで理屈や理論よりも感情論に傾いていく。

先日までの仕事の忙しさやそこで生まれかけた軋轢みたいなものを引き摺ってだろう、僕たちは余裕についての話をした。

 

時間的にも、仕事的にも、僕たちは今後更に余裕が持てなくなっていくはずである。それは自分たちが店を任されることでより顕著になる。

しかしそんな状態が続いては仮にたい焼き屋がなんとか運営出来ても、世界一周の先に見る自分たちの目標はいつまでたっても見えてこないだろうし、お互いへの不満も募りやすい。チームとしても不健全だ。どうすればいいだろうか。

 

僕たちが生酔いの頭で「想定すること」「役割を知ること」「先を見ること」の三つを挙げた。

 

とにかく、見失わないことが大切だ。世界一周と、それから長期的な目標である旅の会社をつくるという、この二つを大事にするのならその手前に起こるあらゆるいざこざは全て取るに足らないことと消化されて然るべきだろう。逆に言えば、もし、その「余裕のなさ」に押しつぶされて世界一周も起業も不可能ならばそれは所詮それまでのことだったということなのだろう。それは口には出さなかったけど。

 

「あいつが何を言っても、嫌われることになっても、その逆の立場を俺は取る」

 

琢也君は「あいつ」と本間君のことを差し、そのようなことを話した。「ブレーキをかけるのが俺の役割やけんな」と続けた。

 

誰かと何かをやりたいと一番強く思っているのは、案外彼なのかもしれない。琢也君自身、役割を探して必死なのだ。誰もが自分の存在意義を求めているし、それでいい。自覚しているどうかは別に重要ではなかった。

 

そして僕は、文章を書こう、とこのとき思った。その時までも記録として状況の変遷をブログに残していたので正確にはその必要性を改めて認識したと言うべきだろう。傍観と俯瞰の為である。誰もが第三者になれる機会が必要で、それが自分の役割だとそう強く感じたのだ。

 

それからはまあ既に話したような話をさらにもう二週ぐらいして、ビールを三杯ぐらい飲んで、二人で一緒に店を出た。

八王子に住み始めてから決めてからもうすぐ一ヶ月が経つというのに、琢也君は店を出てから自信満々で家とは逆に進んでしまうし、そんな様子にいちいち突っ込みながら帰っているとなんだか今日が本当に有意義な休日であるような気がしてきた。

 

 

 

一日休んだ次の日から、たい焼き店オープンに向けての本格的な準備が始まった。僕と本間君は営業許可申請のため、保健所や関係機構を周って書類を集めることになっていた。

ブレーキ役として重心を低くしていこうと決意した昨夜の琢也君に相対するように…というわけではなく、単純に一日の休みで心身ともにリフレッシュしたのだろう、本間君は喜色満面、意気揚々と軽い足取りで保健所までの道を歩いて行った。

 

「お店を始めようと思っているのですが手続きに必要なことを教えてください!」

 

保健所の担当部署に着くなり本間君はそう言った。直球だった。担当の人も一瞬面食らったようだったがすぐに仕事の表情に戻り、「ではまずこちらに」と書類の書き方を教えてくれた。

 

書き始めるやいなや早速専務に確認が必要な事項が出てきたので、僕はその場を本間君に任せて専務に連絡を取ることにした。

一旦廊下に出てから五分少々の間専務と電話をし、メモを取ったノートを開いたまま元の部屋に戻る。引き続き担当の人相手に話をする本間君の姿を確認することができたが、その様子は僕がその場を離れた時とは少し違っていた。

 

「へえ。白いたい焼きですか!」「もちもちの白い生地ねえ!」「原料はなんなんですか」「東京じゃ聞かないですよねえ〜」

 

本間君と受付デスクを挟んで向こう側、担当の人の後ろにもう三人、部署の所員が増えていた。しかもどうやらかなり盛り上がっているようである。

合計してその四人は銘々、これは面白いと言った風に顎に手を当てて頷いたり腕組みをして書類を覗き込んだりして本間君の話を聞いていた。

 

「本部は九州にあって、今度八王子で出そうと思ってる店で東京では三店舗目なんですよ」

 

となどと本間君が何か言う度「へえ〜」とか「なるほど!」とか感嘆の声が口々に上がる。

 

偏見ではあるが、保健所などの公的機関は静かに淡々と仕事をこなしていくものだと思っていた(というか実際にもそんな光景は他のどの受付でも見受けられなかったので一種異様であることに間違いなかったのだろうが)。その盛り上がりが白いたい焼きの訴求力によるものなのか、はたまた本間君の弁論術によるものなのか、僕は首を捻った。

 

「はい!オープンしたら来てください!」

 

と本間君が威勢良く締めくくるのを聞いてから、それでもまだ少し申し訳なげに「あ、確認できたよ」と僕はその渦の中に割って入った。そんな僕を見て思い出したように、担当の方以外は自分の机へと戻っていった。

 

 

無事保健所での最初の仕事を終え、その後別の手続きをしに行った本間君と別れた僕はひとりで家へと帰るのだが、エレベーターで同じマンションに住むであろう老夫婦と乗り合わせて再び驚くこととなった。

 

「あら、あなた」

 

おばあさんの方に突然声を掛けられる。いかにもひとの良さそうな、丁寧さに裏打ちされた落ち着いた声だった。声の方を振り返り、どこかで会ったことがあっただろうかと考えたものの思い浮かばない。「あ、はい?」と僕は曖昧に返事をした。

 

「あなたたち、たい焼き屋さんをされるんだって?いつごろオープンなの?」

 

「あ、えっと…23日を予定しています。今はちょうどその準備中で」

 

にっこりと笑みを浮かべて訊ねるおばあさんに、僕は戸惑いながらそう答えた。どうして今まで会ったことの無いはずの僕を見てたい焼き屋のことが分かったのだろう。疑問を払拭できない様子でいると、おばあさんはそれに気づいたのか「あぁ」と合点が言ったように頷いてから話しはじめた。

 

「この前ねえ、ええっと、元気な彼…本間さんでしたっけ。彼が教えてくれたのよ。今みたいに同じエレベーターに乗り合わせたときにね」

 

おばあさんはそう言うってふふふと目を細めて楽しそうに笑った。件の保健所を経由してきたこともあり本間君の演説も容易に想像がつく。僕はこれは参ったとばかりに苦笑した。

 

この後帰ってきた本人の話で分かることになるのだが、本間君は文字通り見境い無く会う人会う人にたい焼き屋の宣伝をしていたらしい。隣に住む人の顔も知らないの、と形容される現代の東京でである。その地道で堅実な活動には全く頭が下がる思いだった。

 

 

こうして見事(といっていいかどうかは分からないが)保健所の人たちや周囲の人の声援を勝ち得ていった僕たちの開店準備はその後もまあまあ順調に進んで行った。

 

 

僕と本間君が公的機関を回る傍ら、ミヤは駐車場の契約や備品の調達、その他生活のための雑務をこなして奔走していた。

一言に雑務といってもその内容は多岐に渡る。貯金の計画を元に税金や保険料の支払いをしたり口座を作って財布や通帳を分けたり、生活に関わって来る事柄は山ほどあって煩雑としか言えないその量と数を正確に処理できるのはミヤしかいなかった。

 

その上、と言っていいだろう、食卓に豪勢に並べられたミヤがつくったご飯を囲みながら、彼女から一つの提案があった。

 

「このままのペースで行くとオープン日まで日数にして実質二日ほど、中途半端に空く日ができるはず。すこしでも生活や貯金の“たし”にするため、短期のバイトをしましょう」

 

攻めの姿勢を崩さないミヤであった。

もちろん空く時間があるならばそれを有効的に活用したいと思っていた僕たちは全員がこの提案に賛成したわけだが、他でもなく多忙極まる彼女の口からその提案が出たことに心底恐れ入った。

 

そしてその提案から二日後、ミヤは実際に次の週末に入れる派遣のバイトを見つけてきた。

 

その頃僕と本間君はというとミヤのようにうまく仕事を見つけることができず、その日も登録した派遣会社から連絡がなかったことに肩を落として家への帰り道を二人で歩いていた。

ただいま、と家のドアを開けると「おかえりー」と返される声とともに今日も夕食の美味しそうな香りが鼻孔をくすぐる。

 

「どう、仕事、見つかった?」

 

キッチンまで歩いたところでご飯を作りながらミヤが肩越しに聞く。気まずそうな顔を互いに見合わせ「いや」と短く返答する僕と本間君。ミヤはそれよりももう少し低いくぐもった語調で「そう…」と答え、それ以上は何も聞いては来なかった。

 

忙しさの中で毎日全員のために作られる美味しいご飯を静かに咀嚼しながら、僕と本間君の肩身は日に日に狭くなって行くのだった。

 

 

琢也君は一人アルバイトの選考のため日程を調整しつつ、毎日のように面接を行なっていた。

 

今回八王子店をオープンするにあたって琢也君が店長に就任することになった。飲食業、接客業の経験があるのに加えなんだかんだ本部とのやりとりが出てくることを考えると当然の成り行きではある。

もちろん、チームとしては本間君が代表者であるため、たい焼き屋を含めた全体の動きに関しては引き続き本間君が執り成していくのだが、店舗に関する実務的な決定権や主導権は琢也君が持つことになる。

 

アルバイトの募集記事がタウンワークに載ったのは僕たちが大分の修行から帰ってきて一日休みを取ったその二日後からである。

 

全員が同じスタートラインに立てる新規店の募集とはいえ、一誌に載せただけでは反応もそんなにないかもなと思っていた僕の懸念は朝のうちにあっさりと覆された。代表電話として掲載していた琢也君の携帯電話がとにかく鳴り止まないのだ。募集記事が掲載された当日とその翌日に関しては三十分のうちに着信が十件も入るような、そんな盛況ぶりであった。

 

電話で軽い質問をしながら面接の日程を組み、実際に会って良かった人には採用の連絡をしてオープンからのシフトに組み込んで行く。逆に合わないと判断した人には断りの連絡を入れる。

言葉で並べるととたったこれだけの作業ではあるのだが実際にやってみるとかなり時間を要する、そして体力を消耗するものだったに違いない。

 

琢也君は最終的に五十人〜六十人の希望者と面談することになった。ある程度は電話の時点での断ることもしていたのにも関わらず、である。そしてその中から琢也君はオープニングスタッフとして十数人のアルバイトを採用したのだった。

 

「いや、あいつはすげえわ」

 

ある日、面接に同行した本間君がその時の琢也君の様子を見て、僕たちにそう伝えた。

 

実家での飲食店経験や会社員時代の外食系コンサルタント経験こそあれ、自分の店の人材を雇うため何十人と面接するなど初めてのはずだ。それなのに彼は「どうしよう」「困った」などの弱音は愚か悩んでいる素振りさえほとんど見せなかった。

 

学生だろうが年の一回り以上離れた主婦であろうが関係なく、迎える人への煽ても断る人への遠慮もなく(それは店を任される責任者として当然の対応ではあろうがなかなかそうは行かないものだ)、非常に肝の座った対応で以て、彼はただ純粋に良い人を取ってそうでない人を断り続けた。

 

一度、面接から帰ってきた琢也君を労おうと思って言葉を掛けたことがある。

 

「おつかれさま。慣れないことだから大変でしょ」

 

「そうやな。疲れたわ」

 

琢也君は本当にそれだけを言って、自分の部屋に入っていってしまった。そのとき特別疲れていたからというわけではなく僕がいつ声を掛けていても彼はそう答えていた様に思う。

疲れたよね、の問いにはああ疲れた、だけで事足りるのだ。全く分かり易いのか分かりにくいのか、僕がその様子を見て半分呆れたように肩をすくめると隣で本間君が「琢也らしいわ」と笑っていた。

 

 

僕たちはそんな風にして各々分担して開業準備を進め、いよいよ本日、琢也君が採用したアルバイトスタッフを迎えて、一通りの初歩的業務を教えるためのトレーニングを行うことになったのだった。

 

店の前に着くと専務とねえさん、そして乙津店の岩本店長もマネージャーとして来てくれていた。気を引き締めて挨拶をし、鍵を開けて店に入る。工事や設備が完了したのが昨日の話なので、お店のとしての原型ができてから入るのは初めてということになる。

 

ほとんど正方形の店舗内部には真ん中に大きくステンレスの作業台があり、それを囲むように長短二つの焼き台、レジ、たい焼きをストックする為の長机がぐるりと並んで配置されている。作業台とそれぞれの什器の間に人が一人二人通れる程の通路があるようなつくりである。

当然研修店舗の乙津店とは違う型だが、10坪程のこの店舗の形をうまく活かした配置と言えるのだろう。図面から設備に至るまで全て専務の目が入って「てこ入れ」がされており、中を見渡して問題ないと言わんばかりに頷く専務を見て僕たちはさらに安心した。

 

設備の確認を終え、岩本マネージャーやねえさんとともにドリルやレジなど機材をチェックしながら備品を並べているとアルバイトスタッフがちらほらとやってきた。

全員が集まったところで琢也君が号令をかけ、僕たちや専務達も含め互いに挨拶と自己紹介をする。今日までまで肚の据わった対応を貫いて来た琢也君だったが、さすがに専務やねえさんの前となると若干緊張の色が見て取れる。

 

一般的な新規開店の店がオープン前にトレーニング期間を設けるのかどうかは分からないが、乙津店の混みようをそのまま当てはめて考えるならこの日程は不可欠と言えよう。一人でも二人でも即戦力になれる人間が必要なのである。

 

それに、あの混みようを当てはめて然るべくほどオープン日から忙しくなってくれればそれこそ嬉しい悲鳴が聞けるというものだ。

認知度の低い東京にあってさらに東京郊外の代名詞とも言えるこの八王子、更には駅からは徒歩15分以上かかる立地である。専務が太鼓判を押しているとはいえやはり集客に関しての不安はあったので、このトレーニングが有効なものになればいいと願掛けのような期待も僕たちの中にはあるのだった。

 

また一方でこのトレーニング日は僕たちの為でもあった。大分での修行が終わって以来、二週間以上の間僕たちは当然たい焼きを焼くことは出来なかった。

ただでさえ研修期間ではものにするのが不可能だった焼きに関しては、いくらスタートアップに岩本マネージャー達の助けがあるとはいえ、練習出来る日があるに越したことはない。

 

そう言ったわけで、僕たちは僕たちでひたすら焼き台の前で焼きの練習をし、スタッフには餡の補充や、たい焼きの耳切り、生地の準備など補助となる動きの一通りとレジ打ちから提供までの流れを教えた。

今日のトレーニングの段階で既に、「想像していたたい焼き屋のアルバイト」とどこか違うと感じた人もいるかもしれない。少なくとも楽な仕事ではないのだった。

 

半日ほどのトレーニングを終えて僕たちはスタッフを引き連れ近所の家に今日焼いた分のたい焼きを配って回った。専務からの提案だった。この二週間の間にすでにチラシと粗品を持っての挨拶配りにも行っていたこともあり、突然の訪問に対しても大体は快く受け入れてくれた。

 

前回の挨拶の時もそうだったが、はじめは訝しげにドアを開ける奥様方も「今度近くでたい焼き屋をオープンすることになりました」と告げるとすぐに表情を緩めてくれる。「近くにそういういお店が無いから嬉しい」と感想を述べてくれたり、「オープンしたら買いに行きます。頑張ってね!」と声援を投げてくれることも少なくなく、こちらが逆に元気を貰って帰るようであった。

その後スタッフさんとオープン日のシフトを確認し、片付けをしてお店を出る頃には辺りは暗くなり始めていた。

 

 

家に帰り、リビングで実際オープン日は何匹売れると思うか、などと本間君と話していると部屋で休んでいたミヤが「ええっ!」と声を上げた。

何事かと思い僕と本間君はミヤの部屋に行ってみることにした。風呂から上がったばかりの琢也君もそれに続く。

 

「ねえ、見て。これ」

 

僕たちが部屋に入るとミヤはパソコンの画面に向かって目を見開いていた。どれどれと覗き込んでみるとそこには「たい焼き屋オープンスタッフ募集」の文字。しかし僕たちはこのような形で募集を出した覚えはない。

 

「うわ、すげー偶然。同じタイミングでたい焼き店って」

 

飛び込んできた情報とミヤの反応を照らし合わせて何事かを悟ったのだろう、本間君が先に口を開いた。つまり同じ八王子で近々他にもたい焼き屋がオープンするらしい。

 

「あれじゃない、ほら、今年2009年はたい焼き100周年って」

 

僕は確か大分で聞いた情報をのらりくらりと述べてみたが言っても言わなくてもいいような台詞だった。そしてミヤが見つけてきたその情報自体、別に声を上げるほど大したことではないだろうと心の中で思っていた。

しかしミヤはそんな僕らの反応に納得がいかないといったように少しだけ語気を強くして言った。

 

「いや、ちょっとよく見て。これ、ここ」

 

ミヤが差した先の画面を見て僕たちは初めて正しく驚いた。募集記事の詳細を読んでみると、どうやらそこも僕たちと同じ白いたい焼きの店であるようなのだ。

 

「うわ、しかもオープン明日やん。かぶりすぎやろ」

 

一番後ろにいた琢也君が更に気がついて言った。確かに22日オープンとある。僕たちのオープン日は23日なのでそれよりも一日早いことになる。

 

「マジか」

 

本間君がそう言った時には四人とも状況を理解していた。発祥となる九州では既に大流行しているとはいえ、本州ではまだ話題になっていないこの白いたい焼き。このまま東京にも流行が来ると考えるならば先行できればできるほどいいし、できるだけの間独占状態であるほうがいい。

 

その上一般的な人のたい焼きの消費サイクルなど限界があるだろうに一日早いオープンというのが痛い。

噂を聞きつけた人が一日前に並んで買った白いたい焼きを、その次の日に別の店で再び並んで買うとは正直考えづらい。しかし今更オープン日は変えることは出来ない。僕たちは互いに顔を見合わせ息を飲んだ。

 

僕は今の状況からサンデーとマガジンの創刊の話を思い出さずにはいられなかったが明らかに軽口を叩く空気ではなかったし、多分言ったところで誰も分からないであろう。一応大真面目ではあったのだがより深刻な顔に戻ることにした。

 

「ちょっと、ええとまず住所調べよ。どこだ、これ」

 

本間君が口火を切ってその短い沈黙は破られたが、住所を入力して叩き出された画面を見た僕たちはさらに眉をひそめる結果となった。

 

「あれ、これ」

「もしかして…」

 

本間君とミヤが続けざまに反応した。そこは物件探しの段階で僕たちが見つけていた駅近の物件であり、しかも専務に「選ばれなかった」物件であった。

その物件は駅から近い上に僕たちの店の通りより人通りがある。素人目にはその選ばれなかった物件こそが好条件であるに違いなかった。僕はつい琢也君の方を見た。

 

「こんあ偶然もあるんやな…まあ専務を信じよう」

 

と琢也君は僕たちの心中を知って知らずかそれだけ言ってこの件にはあまり取り合わずぷいと部屋へと戻っていった。残された僕らも「そうだね」とは答えたもののやはり気にはかかる。

とは言え琢也君が言うように今のこの状況下では自分たち店と専務の勘を信じてオープン日を迎えるしか無い。とにかく僕は「ドラマってあるんだな」とそう渾々と思い続けていた。

 

 

そして迎えたオープン当日。

その日は僕らの想像も及ばないほどに店の前には開店前から長蛇の列ができ、その人の列が信号待ちの車の人の目に留まってさらに人を呼び、店内の忙しさは閉店まで熾烈なものとなり、たい焼きは文字通り飛ぶように売れた。

 

一日目が過ぎてみれば、八王子店の売上数は今までチェーンの中で最高記録であった乙津店を300匹も上回る3800匹の新記録を叩き出しだした。

たった10坪の店が開店初日で50万以上を売り上げるという、確かにドラマと呼ぶには予定調和過ぎる程の、好調この上ないスタートを切ったのだった。

 

 

※この記事は当時書かれていたブログや日記を元に、また新たに書かれています。