STORY

第1話 | 2008年9月21日

大学卒業後、企業に勤め出してから半年が経ち、都外への出張もようやく一人で行かせてもらえるようになった頃だった。

出張のときは郊外に宿を取ることが多いので、夜の間は時間はあってもすることがない。その日も長野市と上田市の間にあるビジネスホテルで時間を持て余しており、そんなタイミングで大学時代の友人、本間君から電話がかかってきた。

「次の日曜に東京に行こうと思うんだけど、時間ある?」

「うん、今んとこ予定は入ってないよ」

「実は将来一緒に何かしたいなって思っている人たちをちょっと集めようと思うんだよね。21日に井ノ頭公園。来れる?」

電話口の本間君はなにかしら決意をし切ったかのようにやたらと快活であった。僕は少し間を置き、「わかった、行くよ」とだけ答えてその短い電話を終えた。少し緊張していた。

 

本間君は大学一年の頃のクラスメイトで、人違いで声を掛けられて以来それなりに仲良くしていた。

性格は僕とは対照的で、新しいことを次々に見つけ、「あれ、なにかやってるな」と僕が気づく頃にはそちらの道に向かってもう随分と進んでいる……そんなタイプだった。悪く言うと飽きっぽいとも言えるのだが、悪く言ってもいいことはないしなんにだって二面性はある。

 

そんな性格もあってか、本間君は大学三年時に大学を休学し単身オーストラリアへ渡り、一年間バックパッカーをしていた。そのため僕と彼とでは卒業が一年違っていたのだが、彼も次の春からは仙台の経営コンサルタントの会社で働き出す予定だった。

卒業後も本間君とはたまに連絡を取り合っていたので、その内定を九月の頭に辞退したことも知っていた。その辞退の裏で彼が固めた決意が今日の電話に繋がっていることを想像するのは難しくなかった。

 

正直どうしたものだろう、と思っていた。

僕に電話を掛けてくるってことはその「将来一緒に何かしたいなと思っている人」の中に僕も入っているのだろうし、実際大学時代にも何度かほのめかされたことがあった。しかしそれの一員になってうまくやっていく自信は僕にはなかった。

計画についていく自信が無い、というよりも、いざその「なにか」が始まったときに、自分に期待されているものが発揮出来ず、周囲をがっかりさせてしまうのを畏れていたのだ。

ただ、こうして誘ってくれるが嬉しい気持ちもあり、感情としては複雑だった。

とりあえず直接話を聞くまでは考えても仕方がないな、とその日はそれ以上考えないことにした。

 

 

日曜日がやってきた。

夕方の集合だったが、その日の朝に本間君からメールが来た。メールはその日集まる全員に向けて放っているようで、内容は会の目的と集まるメンバーの紹介だった。

集まるのは僕も含め10人ほど。たいていが東京都外から駆けつけるようだ。

僕も一応全員と面識があり、三味線を持って世界一周していた元旅人や自転車でオーストラリアを縦断した強者など、本間君がオーストラリアで出会った人が半分、もう半分は僕や本間君と同じ大学の人たち、といった感じだった。みななにかしら肩書きが書かれている。

参加者リストの最後の方に僕の名前も申し訳程度に入っていた。他の人のように海外を旅したことなどなかったので、肩書きについては特に書かれていなかった。

明らかに僕だけ浮いているよな……とメールを見たときは少し不安になったが、メンバーが顔見知りばかりであることに安心していたし、計画云々はさて置き彼らと久々に再会できるのが単純に嬉しくもあった。どんな集まりになるだろうか、と想像を膨らませていると、ふいに電話が鳴った。

電話は琢也君からで、彼も今回の参加メンバーに入っていた。琢也君は本間君がシドニーに滞在していたときのシェアメイトで、大学時代に本間君の紹介で知り合っていた。彼は同い年である上、大学卒業後に初めて東京に出てきて、偶然同じ中央線沿いに住んでいるとあり、会社に勤めてからも何度か個人的に飲みに行っていた。

電話の内容は「今日吉祥寺に行くんやけど、いっしーどこかいい店知ってる?」というものだった。僕はまさかな……とは思いながらも自分も夕方には行く旨を伝えた。しかし嫌な予感は見事に的中し、「えっそうなん?名前載ってなかったやん」と笑われてしまった。載ってる載ってる、と心の中で反論したが、かくして僕は自分だけでなく、他人からも招かれざる客の称号を貼られてしまったわけである。

 

夕方になり井の頭公園へと向かうと、そこにはすでに本間君を含めた何人かの友人たちが集まっていた。

気後れしながら向かったものの、着いてさえみれば友人たちはみな僕を歓迎ムードで迎えてくれ、久々の再会に少々照れながらも全員と挨拶をし、その場にいたみんなと同じように、公園内に設置されたステージ前のベンチに腰を下ろした。

その時点では何人ずつかに分かれてお互いの近況を報告しているようなかたちだったが、ふと、僕たちが取り囲んでいる中央のベンチに、数枚の企画書が置かれていることに気づいた。

そこにちょうど本間君がやって来たので、これはなんなのかと聞いてみることにした。

「やっとやりたいことが決まったんだ。まあ、見てみてよ。ここにまとめてあるから。」

表紙をめくるとこうあった。

 

*******

Chill out.

→(1)仲間とくつろいで時間を過ごす (2)一息入れる、魂を鎮める

これが僕らの旅のキーワード。 僕らにとって、観光=旅じゃない。 ゆっくりと流れる時。 眼前に広がる雄大な景色。 心地よく流れる音楽。 お気に入りの本。 仲間。

地球と、人間と、自分に向き合う時間。

共に生きていこう。 共に旅をしよう。

*******

 

企画書の中には「旅の価値観を伝えていく」という大きな方針が書かれていた。これが本間君がこれから目指していくと決めたものらしい。それから、それを継続させるために会社を起こす必要があること、必要な資金の獲得と必要な資格についてはどんなものがあるかなどが記されている。

メンバーについては何も書かれてはいなかったが、「やりたいことをやりたいやつとやる」という、シンプルながら、実現するのは難しそうな言葉が指針として最後の方に書かれていた。

 

僕のあとに来た人たちも含め、集まった人はみんなそれぞれのタイミングでその企画書に目を通し、本間君と内容について個別に話していた。

あくまで本間君は一対一で人と話し、それ以外の人はそのまま方々で雑談を続けていた。本間君が全員に向けてなにか演説をするような場面はなかった。

その後、会場が居酒屋に移ってからもその状況は一緒で、企画書の内容についてや、「おれは一緒にやりたいと思っている」という反応に関して、本間君はずっとひとりひとりと話していた。

 

興味深く聞く人がいて、企画に関してのアドバイスを投げる人がいて、「俺はずるいからな。それがうまく行くようになった時にまた誘ってや。がはは」と笑う人がいた。

僕はというとその空気にあまり溶け込めず、完全に観客になったつもりで、いまこの人はどんなふうに考えているんだろうか、とか、誰が参画したらうまくいくかな、とかそんなことをぼんやり考えていた。

企画書の内容が旅に関してのものだったことでより意識させられたのだが、本間君の目指す会社も、その集まり自体も、僕にとってはどこか遠い世界の話になっていた。それに気づいてか気づかずか、実際本間君も僕とはほとんど話さなかった。

 

しかし僕と同じ年代がこうして集まり、会社を起こしたいという個人に対し、わいわいがやがやと盛り上がっているその光景を見るのは気持ちのいいものであった。そこに集まったみんなの表情や声のトーンは終始明るいものであったし、なにより本間君が楽しそうだった。

この企画書の内容がいつ実現されるのかはわからないが、彼ならたぶんその内やってのけてしまうんだろうとそう思った。そう思わせる雰囲気が、この集団から滲み出ていたのだった。

 

それから最後に本間君が軽く挨拶をし、三次会に流れる人たちと家に帰る人たちに分かれた。都外から来ている人や終電が過ぎてしまった人は、琢也君の家に泊まることになった。せっかくなのでと僕も同行することにし、その日は6畳の部屋に男7人が無理矢理詰め込まれ、眠りについた。

 

*これらの記事は当時書かれていブログや日記を元に新たに書かれています。

文章:石崎嵩人