STORY

第9話 | 2009年1月4日

事務所に戻った僕らは置かれたソファに腰掛け、4月からの雇用に関して社長と改めて話をした。ここからが本題だった。

僕たちの要望は

①4月1日から働かせてもらいたいこと  ②住み込みで働かせてもらいたいこと  ③仕事の内容に変化があってもいいから四人で働かせてもらいたいこと

この三つ。③に関しては社長の懸念があることも聞いていたが、世界一周や事業の話し合いをするためになんとかクリアしたい条件でもあった。

社長は一つずつ確認していった。

「4月1日から、というのは問題ないな。うん、問題ない。住み込みも可能。三食分もこちらで出せる。休みに関してはまあ、おいおい相談ということになるかな」

「ありがとうございます」と、本間君が答える。

僕たちを働かせる意志があることが社長の物言いに含まれており、安心する。今回の訪問は働かせてもらえるかどうかを確約させるためのものだったので、社長の反応と発言がすべてだった。

他のメンバーに目配せをしてその安心を伝えたいところだったが、社長がどんな人が読めないぶん、あくまでも固い表情を守ることにし、そのまま社長の方を向いていた。

社長は腕組みをしながら何かを考え、目を瞑ったまま重たげに口を開いた。

「しかし、宮嶌さんは女の子だから…」

案の定、社長もそこが一番の気がかりなのだ。しかしここで押さねば直接出向いた意味は無い。

「できることはなんでも、全部やります」

ミヤが真っすぐに申し出た。社長は面食らったように息を飲み、それから思案顔で斜め下を向いた。僕らは四人とも、少しだけ前に傾くような姿勢になっていた。

ほんの一瞬間が置かれ、それから社長は納得したように目線を上げる。

「そうだな、うん、まあ、いいか。ご飯とか掃除とか、他のことを手伝ってもらえばいいか。そうだな、よし!」

これまでずっと曖昧だった社長の言葉に初めて生気を感じた。たとえ決断のために社長が無理矢理奮起したのだとしても、僕たちが直接やって来てなければこうは言ってくれなかっただろう。社長が初めてしっかりと目を合わせてくれる。お互いに軽く頷く。

「ありがとうございます!」

そう声を揃えて言った。「働き口の確保」という懸念していた問題が一つ解消され、来春から資金稼ぎに向けて動き出せることが約束された瞬間だった。

 

事務所を出ると日が傾き始めていた。僕たちは「細かい話に関して、どうすればいいかわからないことがあればまた連絡させていただきます」と言ってもう一度頭を下げ、社長とお茶を入れてくれた社長の奥さんに改めてお礼を言ってからお茶工場を後にした。

再びレンタカーを出発させ、坂を下る。

その先に沈む夕日と綺麗に染められた小さな町が見え、4月からは何度もこの美しい景色が見えるのかと思うと心が躍った。車内の空気も当然のように明るかった。僕らはそのまま今回の宿泊先である静岡のユースホステルへと向かうことにした。

 

 

ユースホステルには、違和感があった。

林道沿いに建つ白い建物。駅からは少し車を走らせねばならないが、町から離れすぎるわけでもない。アクセスが特別よいわけでも四方を自然に囲まれるわけでもないその立地は、旅を知らない僕にとっては特に、ただ中途半端なようにしか感じられなかった。

ユースホステルが日本で流行ったのは今から40年ほど前。きっとその時代を生きた若者にしかわからない旅の空気感があるのだろう。

今でも営業しているユースホステルは、地方では特に、駅前から少し離れた場所にある。40年前の若者たちは、町から少しでも離れて旅をしたかったのかもしれない。

僕と、それからミヤも、ユースホステルに泊まるのはこれが初めてだった。部屋に荷物を置き、ひとりで軽く館内を回ってみる。

中の設備はそれほど古い感じはしなかったが、掲示物や木札などところどころ時代を感じさせた。小学生の頃に泊まった「少年自然の家」を思い出す。玄関の靴の数から察するに、僕たち以外にもひとりかふたり、泊まっている人がいそうだった。

年季の入ったクロスが敷かれた受付に戻ってみると、先ほど静かな口調で館内案内をしてくれた管理人さんの姿は消えていた。管理人さんはどんな人だったろうか。僕はすでにその人の顔をすっかり忘れてしまっていた。

 

部屋に戻ると、あぐらをかいて座っていた本間君が僕の方を向き、眉をひそめて言った。

「人、いねえな」

僕たちの中で交わされた、この宿に関しての最初の感想だった。

「まあ、こんなもんやろ」と琢也君が横になったまま言った。座布団を枕にして向こうを向いて寝ている。ミヤは何も言わず荷物の整理をしていた。

「ふうん」と本間君はつまらなさそうに言って、考えごとをし始めた。

ユースホステルがどういうものかの基準が僕には無いので、琢也君の言ったように「こういうものなのかな」と思う一方、確かに物寂しい感じはしていた。

しかもそれは、人がいるとかいないとかそういう次元の話ではないように思う。なんというか、場所に温度感がなかった。

本間君がオーストラリアで泊まって衝撃を受けたという「バッパー」(バックパッカー用の安宿をそう呼ぶらしい)の話を聞いていたので余計にそう感じたのかもしれない。

「ビリヤードを楽しむ若者も入ればウイスキーを傾けつつ談笑する老夫婦もいる。そんな活気にあふれた安宿が、どの町でも息づいている」。そんな期待感との差が、僕の違和感を助長しているのだろう。

日本にはバックパッカーはほとんどなく、かわりに一回り以上の前の世代に流行ったユースホステルが今も全国に点在している。アジア圏での安宿の呼び方であるところの「ゲストハウス」もあるにはあるが、多くない。

僕らが日本で旅行業を行う際、ホテルや旅館ではなく、全国の安宿と結びついた企画を立てて行こうという案が出ていたところだったので、初めて泊まったユースホステルでのこの物寂しい印象は、事業構想自体にも暗い影を落としてしまうように思えた。

 

 

昼にいいニュースがあったにもかかわらず夜のミーティングはあまりうまくいかなかった。いや、形だけ見れば上手く進んだのかもしれない。話し合わねばならない議題もすべてこなせていた。ただ、中身が詰まっていない気がした。

そして、それが宿の物寂しさに起因するものかどうかはわからないが、とにかく盛り上がりに欠けた。

ミーティングが終わるともう22時を回っていた。館内はちらほら電気が消えているところもあるようだ。酒を飲むような雰囲気でもなさそうだったのでせっかくだから少し外でも歩こうかと思って玄関まで行くと、後ろから本間君に声を掛けられた。

「ちょっとさ、軽くコンビニでも行かない?」

いいよ、と頷き駐車場に止めてあるレンタカーに僕たちは乗り込んだ。林道を出て5分ぐらい行ったところにあるコンビニエンスストアに僕らは向かった。

 

お湯を入れたカップラーメンを運びながら駐車場の縁石に腰を下ろす。雪こそ降らないが気温がぐっと下がる時間。コンビニの前で本間君と並ぶと自然と大学時代が思い出される。

「今日のミーティングさ、どうだった?」

本間君がカップラーメンを啜りながら聞いて来た。まだ言葉になっていない所感をうまく表現できない気がして、十分に間を置かせてもらってから答えた。

「うん……なんだろう。議題は進んでるけど、あとで振り返ったらなにも生まれてないんじゃないか、みたいなしっくりこない感じがあったかな」

「そう。そうなんだよな」

本間君は空を仰ぎ見て言った。町の明かりは林に阻まれている。僕らの後ろに明々と灯るコンビニの電光さえなければもっと綺麗に星が見えたのに、と思う。

「でもそれはきっと疲れてたっていうのもあるし、場所自体寂しいところだったってのも関係してるんじゃ…」と僕が途中まで言いかけると、「いや」と本間君がそれを遮った。

「それもあるのかもしれない。でもさ、違うんだよ。多分そうじゃない」

どきり、とする。これからなにか本質を突くような、そんな話が待ち構えていることが予感された。僕は黙って次の言葉を待った。

「俺は今日のミーティング、すごくうわすべりしてるような気がした。俺たちが4人のチームになってしばらく経った。個人の仕事もはっきりしてきたし、ずっと不確定だった4月の働き口も今日ようやく確定した。俺たちは少しずつ慣れて来てるし事が進んでる。でもさ」

僕は次の言葉を待つ。

「でも、芯が無いんだよ。旅行業やりたいっていってるけど、旅を仕事にしたいって言ってるけど、どんなことが旅なのか、なにが楽しいのか……いや、楽しいっていったら違うな、自分たちはなにに価値を置くのか、そういうところが定まってない。それがバシッとはまってれば、事業のミーティングについてだって世界一周についてだってもっと『こうしたい』ってのが出てくるはずだよ。そしたらこの旅自体、たとえ宿に活気がなくたって絶対楽しめるのに」

それは、僕が思っていたよりも広い範囲での話だった。口にも顔にも出さず「どうかな」と考えた。発言の前半と後半では少し受ける印象が違った。

「どこに価値を置いて旅を提供するかっていうのは、確かにしっかり捉えなきゃならないと思う。本間君のいう『旅』ってなんなんだろう。どうして旅がいいと思うんだろう」

僕は言葉を選んでそう告げた。事業や計画に、もっとはっきりとした芯が必要だとする関する前半部分への賛同と、ミーティングやチームづくりに関する後半部分を掘り下げるための質問とをどちらも包括するつもりだった。本間君は少し考えて答えた。

「まず、何度も言っているけど旅がいいって言いたいわけじゃない。いや、俺はいいと思ってるよ。でもそれを押し付けるつもりはない」

「わかるよ」

「うん。それは自由に決定できるのがいい。だからパッケージされない旅を作りたいんだし。自由、自らに由る選択ってのを大事にしたい」

「世に出そうとする以上、押し付けようが押し付けまいが、ひとつの提案にならざるを得ないけどね。いくら『パッケージされない』っていっても、決められてないのが決まってるって意味ではパッケージされてるわけだし。『パッケージされないこと=旅』を売りにした企画旅行っていうのは……うーん、どうなんだろう」

「うん」

「本間君の感覚でいいんだけど、いや、僕は旅をしてないからさ、なにかいいと思うところがあるから旅に出るんだろうけど、なんで旅に出るの?」

「なんだろうな、視野が広がる瞬間というか、そういうと嘘臭いけど、感覚的にそれはある。旅に出るとさ、一人だからさ、感覚が研ぎすまされるんだよ。それが好き」

「たしかに。どこか放り出されるイメージ。自分で放り出してるんだろうけど」

「そう。だから今までの関係性とかなんもないの。自分一人」

「そういえば、旅に続くのって『出る』だよね」

「ああそうか。旅行は『行く』だわ」

「『行く』のって帰りが約束されてる」

「『出る』は?既知の範囲の外ってことかな」

「『捨てる』のニュアンスを含んでるのかも。家を出る。町を出る。国を出る…帰りは必ずしも約束されてないのかも」

「言葉にとらわれたいわけじゃないけど、自然にそういう言葉が当てはまってくるってことは、なんかしらの自意識が関係してるんだろうなあ」

 

月が林の輪郭をなぞってゆっくりと移動するのを確認しながら、僕たちはそんな話をしばらくした。少し寒くなって来たのでレンタカーの中に戻り、その後も少しだけ話をしてから宿に戻った。ちょっとのつもりがずいぶん長くなってしまった。

本間君と僕は部屋に残った二人に「抜け出ててごめん」と告げ、それから思い思いのタイミングで床に就いた。

 

 

静岡の二日目。宿をチェックアウトして東京方面に車を走らせた。昨日に引き続き、冬らしい澄んだ晴天だった。

僕は昨夜の話を思い返していた。そこにはいくつかこの先のヒントになりそうなものがちりばめられている、そんな実感があった。本間君も、話をするなかで靄がかかっていた部分が少し晴れたのか、陽気さを取り戻していた。

僕たちは車内でたまに冗談を言い合ったり、簡単なゲームをしたりした。途中に寄った定食屋のご飯はおいしかったし、山の空気は綺麗だし、途中車を降りて散歩もしたりした。

しかしこの旅は、僕らが将来仕事にしたいと想像する楽しさの旅ではぜんぜんなかった。

僕たちは今後、どういうチームになっていくといいのだろう。友人関係のつくり方とは、きっとぜんぜん違う。本間君は昨日「俺たちはもっとこの旅自体、楽しめるはずだ」って言っていたけれど、本当のことを言うと、僕はそこに関してはまったく自信が持てなかった。

もっと言うと、僕たち四人はそれぞれ、誰かと連れ立って行く旅を楽しむ人にはならないんじゃないだろうかと思っていた。 僕たちは、自分たち自身が仕事として旅をする人たちではないのかもしれない。そんな雑感がまだ言葉になる前の段階で、あてどなく漂っている。

いや、と頭を振る。きっと考えるのはもっと先でいいのだろう。実際に起業するとなったときに自ずと答えが出ているものだろう。前にも本間くんが言っていたけど、出ていなかったら起業をやめるなり、延期するなりすればいい。今でさえ僕たちは変化し続けているのだから、その変化をしっかりと捉えていればいい。

 

夕暮れ過ぎ、最後の休憩を終えて車は東京に着こうとしていた。明日からは会社員としての自分も取り戻さねばならない。

後部座席から、フロントガラスの向こうに続く真っ直ぐ道を見遣りながら、次に四人で会えるのは会社を辞めてからになるのかもしれないな、と僕はそんなことを考えていた。

 

※この記事は当時書かれていたブログや日記を元に、また新たに書かれています。