STORY

第18話 | 2010年1月31日

旅行業ではなく宿をやろう、だったら誰かがやる前にいち早くはじめよう。そんなことを本間君が言い出してから一ヶ月が経った。年が明けても僕らの混迷した状況はほとんど変わらず、計画通り世界一周に行くのか、行かずに宿業に方向転換するのか、はたまたその間に折衷案はあるのか、いまだ意見はまとまっていなかった。

単に意見が割れているのではなく、この一ヶ月の間にそれぞれの考えが何度も変わっている。そして一度たりとも全会一致となっていない。仮にいっとき全員の意見が揃っても、次の日には誰かが「いや、やっぱりこれは、」などど言い出して、決まりかけた方針も解消されてしまう。

「世界一周で強固な理念を見つけるべきだ。知識も経験も無いのに、なにで勝負をするのかと言ったら強い思いしかないじゃないか。『今なら無理なく始められるから宿をやろう』だなんて安易な選択をしたら今後もその安易な価値観に縛られる」

と誰かが発せば、

「はあ?いまの働ける環境も、稼いだお金も、世界一周行って帰って来たらなにもなくなるじゃん。思いがあったって起業できなきゃ仕方が無い。借金でもする?したことないのに、その重圧に耐えられる?」

と誰かが野次り、

「将来するのが旅行業じゃないんだとしたら、世界一周の旅に事業化に向けてのモデリングの意味合いはなくなる。世界の宿を見てくるってのなら、それは一人だってできる」

と誰かが提案すれば、

「それは参加者にとっての企画の意味が変わってくるよね。全然その人たちの気持ち考えてない。自分勝手すぎるでしょ。誘った責任があるんだよ」

と誰かが反論した。

しまいには「というか、こういう可能性を想定して話を詰められなかった俺らの負け。どれをとっても負けよ。ある意味企画は失敗だわな」「一番つらい道を行って決めよう。今までもそうしてきたじゃないか」などと、詮ない精神論をし合うほどに僕らの議論は迷走した。

 

今回、議論が長引くなかで、自分たちではなく周囲の人にも意見を求めた。

専務は相変わらず、「世界一周なんか行ったって意味がない。しない方がいいに決まってる」の主張を変えず(かと言って宿をやるために今踏み出せというわけでもなかったが)、「ひとまずまだしばらくはたい焼き屋でお金を稼ぎなさい」と強く僕らに教えた。

逆に宮嶌父と宮嶌兄は世界一周に行くことを推した。「お前らぐらいの年齢で後先見て金を心配するなら生きる価値はない。もっと大事なものを築きなさい」「宿をするんならなおさら世界を相手にすることになる。じゃあ世界を見なきゃ。見てないものは伝えられないし、誰もやったことがないから魅力的なんだろ」とそう言って、 宮嶌父と兄には別のタイミングで相談したにも関わらず、二人は違う言い方で同じようなことを言った。

しかしそのどちらの意見も僕たち全員の考えを統一させるには至らなかった。

「リーダーがブレてるんだから、そりゃ全部ブレるわ」

ミーティングで発せられたこの一言を最後に、僕らの議論はぴたりと止まってしまった。ここ数ヶ月ではっきりと輪郭を持ちはじめた本間君への不信感は、僕たちのなかでまだ好転する兆しを見せていないのだった。

それ以上誰もなにも言おうとはしなかった。本間君は誰の視線も捉えず黙って何もない場所を見つめ、僕たち三人は引き取り手のいないその嫌な沈黙をそれぞれで持ち帰った。以後、ミーティングは開かれていない。

 

 

ミーティングが開かれない間、家の空気は冷えきっていた。ただでさえ気温が下がるこの季節は自然と考えが縮こまる。積極的にコミュニケーションを取らねば、感情がどんどん暗く傾いていってしまうというのに、不和を引きずった僕らにはそれができなかった。極力会話をなくすことが、自分たちにとって一番自然な選択であるように思えた。

本間君は「どちらにせよ宿業での起業が現実的に可能なのかの確証がないと議論すらできない」と言って一人で観光庁のデータを集めたり、都内のバックパッカーに一人で泊まったりしていた。店に出ないぶんの穴埋めは、僕たち三人や新たに任命した店長が行い、本間君は家を空けることも多くなった。僕らはさらにすれ違うばかりであった。

「はあ……」

僕は町田店の締め作業を終え、歩いて駅へと向かっていた。店も暇なので一日考える時間ばかりある。かといって気の利いた発案は特に無く、家から持ってきた重苦しい空気を日中遊ばせてはまた背中におぶって帰っていく、そんな日々だった。

一体どうすればいいのだろう。僕は今後の決定よりもむしろ、この四人の不穏な空気を憂いはじめていた。ミヤはすっかり怒って本間君とは話したくないと言った様子だし、琢也君はそう簡単に話は聞かぬという態度な上、厚木店があるためそもそも家に居ない。

本間君はそんな二人に対し、どうしていいか分からないという気持ちと、構っていられないという気持ちの半々と言ったところだろうか。とすると僕は一体どうなんだろう。先月の段階では、「ごっこ遊び」みたいな遣り取りにどこかうんざりしていたところはあったけれど、今はそれどころでもないし……。

とにかく、どうにかしないとこのまま事態は進展しない。今のままではどの選択をとっても明るい未来はやって来ない気がした。

あれこれと思い悩む中で、僕は一人の人物が頭に浮かんだ。本間君の弟、智裕君だ。彼は本間君のことをよく知る上に、時折僕たちに客観的で的確な意見をくれる。観察力に優れているのか、僕らと会ったことは数えるほどしか無いはずなのに、個々人の性格や考え方をよく把握しており、いま相談するには一番の相手だと感じた。

そう思いついたあたりで家に着いた。「ただいま」とドアを開けて中に入るが、明かりは点いていなかった。ミヤはまだ帰って来ていないようだし、本間君も外に出ている日なのだろう。絶好の機会である。僕は早速、智裕君に電話をかけることにした。

「はい、もしもし」

数度呼び出し音が鳴ってから、大きくも小さくもない落ち着いた声が電話口で僕を迎えてくれた。「どうしたの、いっしーから電話なんて珍しい」と智裕君が続ける。

「うん。突然ごめん、実は」

と僕は昨年からのあらましを彼に説明した。たい焼き屋の売上が下がったこと、旅行業から宿業へと方向転換することや世界一周をするかどうかで揉めていること、本間君の仕事や生活態度、行き過ぎた個人行動により不信感が生まれていること、それらすべてが影響して今後の方針が定まらないこと、四人のなかに感情的な不和が生まれていることなど。

うまく話せるか不安だったが、話し始めてみると思いがけないほどにするするとそれらは溢れ出た。

話の流れ上、本間君の粗雑さを実弟に伝えねばならないのは心苦しかったが、説明せぬことには現状を伝え切れない。感情の摩擦が今回の話をややこしくしていることは間違いなかったからだ。一方で「起業する」などと意気込んで周囲の反対を押し切ったくせに、自分たちの実力のなさが話すほどに見えてくるようで情けなくもあった。

しかし智裕君は僕の話に関して、別段不快さを感じるわけでも、失望するわけでもなく、ただ相槌を打って聞いていた。僕が話し終わってから、「うん、まあ」と言って間を置いた。なんらかの答えを望んでいながら、彼のその計るような余白に緊張した。見透かされているような気がした。

「まあ、兄ちゃんはそういうところあるから。みんなで続けてこうと思うんならそれはもう諦めるしかないですよね」

彼はそういって、呆れた風にほんの少し笑った。僕からいろいろと話したなかで、智裕君が初めに取り沙汰したのは本間君の素行とそれについての僕たちの態度だった。

智裕君のその簡潔な回答に対し、僕には「ああ」と不思議と腑に落ちるものがあった。すぐに返事ができないぐらい、いままで足らなかった言葉が全身にゆっくりと満ちていく。僕にだけとって言えば、ここ数ヶ月で積み重ねて来た悩みは、彼のそのたった一言で解決した。

「諦めるしかない」という表現は「受け入れるしかない」よりもずいぶんと現実的な響きでいまの現状を正確に言い当てている。これ以上ないほどにその通りなので、そして僕らがいくら不満を漏らしたところで変わらないということだ。十数年一緒に生きてきた弟が言うのだから説得力がある。

智裕君はその本間君の素行に対し肯定こそしないものの、一言たりとも糾弾しなかった。糾弾は言い過ぎだとしても、ふつう相談される側としては相談者への同情などがあってもいいと思うが、それがまったくない。同時に「ああ、これは僕も不満を漏らしたかっただけなのだな」と気づかされる。だから余計に腹落ちした。

僕は誰かに本間君のことを正してほしかったのだ。「そのやり方は自分勝手だし、みんなに迷惑を掛けている。道理を通せ」と誰かに言って筋を通して欲しかった。自分ではそれが言えなかったし、チームの中で言ったとしても(とくにいまの行動すべてが裏目に出る現状では)それが功を奏さないことがわかっていたので鬱屈としていたのである。

琢也君とミヤが分かりやすく半旗を翻していたため、僕は安易に本間君を攻撃する立場を取るまいという思いもあったが、それはあくまで建前で、 自分の意見を述べて抵抗することから逃げていたのだと思う。そのように膠着していったこの状況を他の誰かに判断、いや、もっと言えば裁いしてほしかった。より客観的な意見からの断罪を求めていた。

いまその裁判の結果、「本間に罪はなし」と判決が下された。悪いところはあるのかもしれないが、このメンバーで続けるんだったらそれは仕方のないことだ、と。

僕が望んだかたちではなかったが、靄が晴れていくような気持ちだった。これでいい、とそう思える実感があった。

僕が浸っていると智裕君が話題を移してくれた。つまり、宿泊業と世界一周についてである。

「とりあえず宿業の方で進める可能性があるなら市場調査は必須でしょ」

「うん。確かに」

僕も気持ちを持ち直して答える。智裕君が続ける。

「市場調査をするんだったらそのための経費は惜しんじゃだめですよね。もっと大きなお金が動きうるんだから。だからいまの兄ちゃんの動きは正しい。いまはみんな不信がってるから、なかなかそういう頭で考えられないかもしれないけど」

ぐうの音も出ない。その通りである。そして、最後に聞かれた。

「で、いっしーはどうしたいんですか?」

少しだけ考えてみる。初めから自分が持っていた思いに関して、僕は本当にそう思っているんだろうかという確認作業である。

「うん。方針を決めたいよりもなによりも先に、とにかくこのよくない空気をなんとかしたい」

そう答えた。本心だった。

「そしたら変えられるのはたぶんいっしーしかいないと思いますけど。いま兄ちゃんは孤立してる状況みたいだけど、このままなんとなくバランスが持ち直すことってないと思います。誰かが意識して行動を変えないと」

僕はその提案に対し短い頷きで答えた。どんな言葉を話しても薄っぺらい気がしたからだ。空気を感じ取ってくれたのか、智裕君はそのまま続けた。

「三人で話したことってあります?」

僕と琢也君とミヤで、ということだろうか。本間君のことについて?

「いや、無いと思うなたぶん。いつも四人でのミーテイングだから」

「話聞いてると、四人ではなしてるときは、きっと三人で兄ちゃんを責めるようなかたちになってると思うんですよね。いっしーは中立のつもりかもしれないけど、そもそも力が均衡じゃないから、たぶん今は逆効果」

中立すらも怪しい、と僕は思う。中立に見せて、自分が傷つかない位置から本間君への攻撃に加担していたのだろう。その結果、自分の望まない状況を自分で望んで作り出していた。

「もし関係を好転させるきっかけをつくるんだとしたら、一度兄ちゃんを外して三人で話した方がいいと思います。批判したり責めたりしていい。できれば初めから全員でそれをする方がいい。責め続けていっても相手がいなかったら空しいので、どこかで行き止まります。その場に居ない人のことをフォローしようという反動が生まれます。 起業でも世界一周でもなんでもいいけど、全員で成し遂げたい目標があって、そのための建設的な議論をしようという気持ちがあれば尚更です。機会を逃さなければ空気ぐらいは変えられます」

ありがとう、と最後に伝えて電話を切った。気付けば30分以上の長電話になってしまった。僕はそれまでもたれていた壁から背中を滑らせて床に座り込んだ。完膚なきまでに打ちのめされてしまった。彼は本当にただの大学生だろうか。

さて、僕はこれからどう動いたらよいだろう。相変わらず誰もいないしんとした部屋で、僕は暗転中の舞台のような緊張感に包まれていた。

 

 

それから僕は次のミーティングまで本間君寄りの立場に舵を切ることにした。「肩を持つ」と言うといくらか邪に聞こえるかもしれないけれど、理解者と代弁者になろうと思った。

僕は積極的にミヤと琢也君と話す機会を作り、しかしわざとらしくはならないように彼らの、そして僕ら三人の感情の揺れを整地しようと努めた。

そうして数日が経つうち、本間君の調べ上げた観光庁のデータを全員でシェアしようという主旨の会議が開かれた。重い沈黙で会議が終わって以来のミーティングだった。僕の行動によるものかどうかはわからないが、今回はつつがなく終了することができた。僕たちを纏っていた重苦しい空気も少し緩んだように感じた。一時は本間君に目も合わせなかったミヤも会話の中で少しだけ笑うようになっていた。

また、今回は他にも大きな一歩を踏み出すことができた。会社をいつ起こすかはわからないが、創業時の事業内容に宿泊業を据えることを決めたのである。本間君が調べて来た結果について全員で話すなかで、大手が牛耳る旅行業に大量の資本を投下してニッチな旅行業を行うよりも、宿泊業としてバックパッカー宿を行う方が金銭面でも機会面でも堅実的だという結論になった。

「旅行業では、どうやっても『この旅のスタイルがいい』という価値観を押し付けることになる。宿という箱をつくって、そこで自由に旅を楽しんでもらうというやり方で、俺がもともと考えていた旅のイメージは十分実践出来ると思う。旅の楽しさを味わえる空間をつくろう」という本間君の主張も、今回はすんなり受け入れられた。

少しずつ、本当に少しずつ、停滞していた空気が流れはじめていた。

 

時を同じくして、僕らの間である新たな提案がされた。それは、「僕たちのこの状況を世界一周の参加希望者に包み隠さず話してみよう」というものだった。

12月のミーティングの時点では、こういった提案自体「参加者を幻滅させる」と反対意見が出そうなものだったが、果たしていいのか悪いのか、僕たち以外に五人いたはずの世界一周の参加者が、この一ヶ月で四人リタイアして一人になっていたのである。

お金を集められなかった人も多いし、そもそも本気じゃなかったのかもしれない。けれど、なにしろ僕たちがこんな状態である。こちらにも少なからず原因はあるわけでその人達の不参加を責められるはずもない。

最後に残った参加者は翔太郎君と言って、元々は琢也君と同じ高校のクラスメート、大学時代には琢也君とアメリカ横断の旅をしたこともある僕たちの友人である。参加を決めるのは一番遅かった彼だが、聞くと資金も順調に貯まっていっていると言う。

ミヤが言い続けている「参加者への責任」はまだありながらも、現在参加者は翔太郎君ただ一人だけ、それも琢也君の昔からの顔なじみということもあって、意味合いは大きく変わっていた。「もしかしたら世界一周に行かないかもしれない」という企画中止の可能性を伝えても、 過剰に落胆せず、ただ翔太郎君の思う事を率直に伝えてくれるのではないかという予感があった。

 

翔太郎君に打ち明ける事で合意した僕らは、彼を八王子の家に呼んでミーティングした。

「元々考えていた旅行業から宿泊業に事業の内容をシフトチェンジする流れになっている。宿泊業で起業するなら、資金と機会が潤沢な今のうちに起業し、世界一周に行かないという選択を取るということも考えている」

「しかしそれは本当に自分たちのするべきことなのか。参加を決めてくれた人にとっても、将来の自分たちにとってもここで世界一周に行くのが道理の通った方法ではないか、という気持ちもあり迷っている」

「そんな状態で、いま一ヶ月以上の間全員で頭を悩ませている」

ということがまず本間君の口から翔太郎君に伝えられる。そのあとで僕たち三人もいまのそれぞれの意見を翔太郎君に話した。

翔太郎君はミーティングのはじめから表情を変えず、ごくごく真面目な顔で話を聞いていた。全員が話し終わり、彼は僕たち全員を順に眺めるようにして見て、それから少し困ったように表情を緩め笑った。

「ちょっと、考えさせてくれ。直ぐには意見出せん」

翔太郎君はそう言って落ち着いた仕草で煙草を取り出し、ベランダへと向かった。普段煙草を吸う琢也君や本間君もそれには続かず、煙草を一本分のその時間を僕たちは黙って過ごした。

「あー。むずかしいなあ。これはなあ」

ベランダから戻り、元の席に座った翔太郎君はやはり少し笑ってそういった。そして彼の意見を一つずつ僕たちに伝えてくれた。

「まず極端な話、ここで『誰も世界一周にいかない』って選択をみんながしたとしても「話が違うじゃねーか」とは絶対ならない。そこは心配しないでほしい」

うん、と僕らはゆっくり深く頷く。

「そしてそのぶん、俺がいるから、悪いから、みたいな考えで世界一周の決定をすることもしないで欲しい」

「俺がメンバーだったら将来のことを考えて『行かない』っていう選択を推すかもしれん。『いややっぱそれでも行こう』って言うかもしれん。どっちの考えもわかるから難しい。変な話、企画倒れももしかしたらあるかもと最初から思ってはいた」

「希望はもちろん、いままで描いてたイメージ通り全員で世界一周に行きたい。最終的にはみんなが決めてくれていいけれど、その代わり、こうなった以上は俺も『絶対に行く』とは言えない。誰も行かない、全員で行く、数人が行く…どのパターンになるにしろ旅のスタイルは大きく変わるし、なされた決定に対して俺が行くか行かないかをもう一度決めさせてほしい。行かないという選択を取ることもあり得ると思ってて欲しい」

翔太郎君はそんなことを話し、僕らは再び深く頷いた。翔太郎君は最後まで、「俺のことは気にするな」と言い続けてくれていた。

「OK」と言って本間君がパンと手を叩き、そこからは肩の力を抜いて、車座になって話をした。

「世界一周には全員で行く」という前提でルートや必要項目についてああだこうだと話し合う。翔太郎君がいるせいか、雰囲気はいつもよりも明るく、たまに冗談を言い合ったりして楽しい時間が過ぎていった。みんなでお酒を飲むのも久しぶりだった。

会が終わりに近づくに従い、僕たちはだんだんと落ち着きを取り戻していった。あくまでもこれは仮初めの盛り上がりなのである。世界一周をどうするか決めなければならない。決めるための条件はほぼ、出揃っていた。

「本間が最大限納得するかたちで答えを出そう」

結局僕たちは、翔太郎君とともにそう結論づけた。僕はミヤのお兄さん、ひろさんの言葉を思い出していた。

「『選択を誰かに任せる』ってのは、人のせいにしてるのと、責任転嫁と同じじゃないの。なんでもっとぶつかり合って全員で決めないの」

しかし、これは本間君のせいにしたわけではないと思えた。これから進む先を明確に打ち出すのは、それは僕ら三人には出来ない仕事だった。 それに、本間君自身任されるのを待っていたように思う。いままでは雰囲気の悪さがそれを邪魔していたけれど、そう思うと僕の動きも無駄じゃなかったのだろう。

次の日の朝、僕らの家に泊まった翔太郎君をみんなで見送った。本間君は別れ際、真面目な面持ちで翔太郎君に言った。

「結論は俺が出す。もう少しだけ待ってくれ」

翔太郎君に向かって言ったその一言は、同時に僕ら三人に向けても言っているみたいだった。だから信頼してほしい、と。翔太郎君は穏やかに笑って、少しだけ名残惜しそうに言った。

「俺はどこかで、根拠もなくみんなで行くと思ってるけん」

本間君は言葉では返さず、「じゃあまた」と手をあげて玄関から出る翔太郎君を見送った。翔太郎君もそれにならって手を挙げ、今度は僕ら三人がそれに応じた。

 

 

それから三日後の夜、本間君がリビングに僕たちを集めた。全員が席に着くと、前置きなしで彼は話し始めた。

「世界一周について、今まで出た意見全部踏まえて考えて、決めてきた」

「うん」

その話だろうと思っていた。僕らは静かに構えた。緊張が僕たちの間に漂うのがわかる。

「2:2で、世界一周班と、日本残留班に分かれる」

一瞬胸が詰まる。2:2という言葉に様々な思いが交錯する。琢也君もミヤも同じだろう。自分は「どっち」で「誰と」組むのか、僕たちは固唾を飲んで次の言葉を待った。僕たちの視線を察して本間君が口を開く。

「俺といっしーが日本に残って市場調査、物件取得、各所申請など宿開業のための現実的な作業を担当する。英語が話せて海外の文化を吸収してこれる琢也と、将来宿の運営をメインに考えていくミヤが世界中の宿を見てくるために世界一周」

自分の名前を聞いてから、一瞬遅れて思考が追いつく。世界一周には行けないかというショック、その反面「確かに市場調査の方が役立てそう」という安心、琢也君とミヤの組み合わせへの心配、でも翔太郎君と三人なら上手く行きそうかなという期待。そして、そんなもろもろを考慮した上で、「バランスの取れた選択だな」と思った。ふう、と緊張したぶん溜め息が出る。そうか、僕も意外と世界一周行きたかったんだな、と思うと少し笑えた。

 

琢也君とミヤの方を伺うと、二人とも何も言わず黙っていた。僕と同様、多方面に思惑を巡らせているのかもしれない。そんな様子を汲み取ってか、本間君は「ちょっとそれぞれ考えてみて」と席を離れた。

三人になったので僕が切り出すことにした。率直に、二人はどう思ったのか。

「決定についてはOK」

琢也君が短く答える。決定については、という言い方が気になったがそれ以上言葉が続かなかったので、足りていないのは単に心の準備なのかもしれない。

「妥当な選択だと思う」

続けて、やはり短くミヤが答える。

「特性の違う二組のチームになるし、やることも増えるだろうから、それぞれ今よりも自分の役割をはっきりさせたいね」

と言って僕は締めた。「いい決定だと思う」となどと言うと逆に世界一周に行けない気持ちを誤摩化そうとしているように聞こえそうだなと思い、なるべく建設的なことを言おうと思った。

改めて僕の仕事について考えてみる。市場調査をしたことはないが、分析することは好きなので向いていると思う。本間君との組み合わせも順当である。ホームページをつくったことはないが、学生時代に本間君と一緒に「仕組み」みたいなものを一通りさらったことがあった。

本間君がリビングに戻って来て「三人とも納得している」という旨の返答をした。それを聞いた本間君が、「よし、では」と言う。

「これで、決定にします!」

本当は拍手でも欲しいところだったが、僕らはあまり拍手をするようなタイプではなかった。散々言い争いをしたあとなので、それもそれで白々しいという気持ちもある。全員で「はい」と頷くぐらいにとどめ、「では早速」と浸る暇もなく翔太郎君に連絡を取ることにした。

「選択次第では行かないこともある」と言った翔太郎君のことが思い出される。僕らはなんとなく連絡の手段にメールを選び、決定の内容とその経緯を簡潔に書いて送った。返事はすぐに返ってきた。

内容は「世界一周、行きます」 だった。

ただ、想定よりも人数が減った三人旅になるのであれば、計画していたよりもっと自由度を増したい、ということだった。それについてはこれから出発までにゆっくり話し合おうということになった。行くことに決めてくれてよかったという気持ちと、翔太郎君ならきっとそういうと思っていたという気持ちで僕はほっと胸を撫で下ろした。

 

翌日、今までよりも軽やかな気持ちで仕事場から家に帰ると、本間君が既に帰っており、買って来たばかりらしい本を数冊整理していた。

「おー、おかえり」

とりあえず「ただいま」と返す。「なんの本を買ったの?」と聞こうとしたところで本間君の発言に遮られた。

「いっしー、会社を起こそう。このままなるべく早く。早急に」

「へ?」と僕はあまりの展開の早さに耳を疑った。だって昨日世界一周と市場調査が決まったばかりなのに。会社を起こすのはいくら早くても開業の目処がついてからでよいのではないだろうか。

僕の反応に構わず、本間君はさも大真面目といったふうな表情を続けている。テーブルに並べられた本のタイトルを見ると「いちばんやさしい会社の作り方」とあった。

 「いちばんやさしい会社の作り方」。僕は頭の中でそのタイトルを復唱した。

※この記事は当時書かれていたブログや日記を元に、また新たに書かれています。