STORY

第17話 | 2009年12月18日

9月の中頃に厚木店がオープンしてから三ヶ月。今月の頭に四店舗目の町田店ができ、予定通り僕が店長を務めることとなった。計画よりは少々遅れてしまったものの、これで無事、当初の目標だった「一人一店舗」が達成されたわけである。

しかし、町田店のオープンが決まったとき、手放しで祝福するようなムードは僕たちにはなかった。一店舗目の八王子店がオープンしてから半年が経ち、各店舗の売上は減り続けていたからである。

 

そもそもの話をすると、二店舗目の昭島店が八王子店ほど売上げなかった。しかし、僕たちはこのとき売上の低さに対する危機意識をほとんど持っていなかった。

理由はいくつかある。昭島市の人口は八王子の1/5ほどしかないし、商圏が若干被っている。また、昭島店のオープンが8月だったこともあり、いくら冷めた状態で提供しているとはいえ、そもそも夏場にたい焼きの出数を伸ばすのは難しいと思っていたのだ。とはいえそこそこの売れ行きは保たれていたため、僕たちはとにかく、暑さが落ち着いて売上が回復するのを待った。

同様に、その直後開店した厚木店も、オープンしてしばらくは順調な数字を叩いたものの、その勢いは長くは続かなかった。残暑も厳しかったので致し方なし、という当時の僕たちの見解は間違いなくただの楽観であった。

 

 

売上の低下に伴ってか、この三ヶ月はなんとなく、僕らの中にも暗いムードが蔓延していたように思う。

10月に入る頃、ぼくはオープンしたばかりの厚木店にしばらく住み込んで、厚木店の琢也君の手伝いをしながら四店舗目の物件探しと資格の勉強をしていた。資格というのは旅行業に必要な専門の国家資格のことで、6月の試験の申し込みの際、一番暇そうだった僕が流れで受験をすることになっていたのである。こちらは11月に発表があり無事合格していた。今年の一発合格率は15%と例年よりやや低めだったが、四教科中二科目は満点という快挙での合格である。

そんな三足の草鞋を履きながらの厚木生活を終え、久しぶりに八王子に帰ってきた僕は家について驚いた。

「おかえり」

「おかえり〜」

本間君もミヤも声が暗い。四人で生活していたころは帰れば誰かしらがリビングに居たが、今は電気すら点いていない。二人の声はそれぞれの部屋から聞こえて来ていた。

 

その後部屋から出てきた二人に最近の様子を聞くと、一日の売上がオープン当初の1/4ほどまで落ち込む日も多く、もっと働きたいアルバイトさんを早めに上げたり、しばらく休んでもらうことを告げるのが精神的に辛いのだという。 それに、売上に対して歩合で日給が決まる自分たちも、時給に換算すると最低賃金を遥かに下回っていることも多く、やる気が起こらないというのだ。

僕が話を聞いたところでなにも解決はせず、むしろその倦怠感は次第に僕にも移り、焦燥や不安を煽って、長く、重いストレスになっていった。

 

ある日、僕が町田店開業のための準備をしていると、ミヤから僕たち三人に向けて一通のメールが届いた。本間君と琢也君も、それぞれの店舗で受け取っていることだろう。メールの宛先こそ三人に向けてはあったが、「最近のわたしたちに違和感があります」と書かれてはじまったそのメールには、本間君の仕事の仕方への疑問がびっしりと書かれていた。

読み終わって僕は思う。内容に関してはさておき、メールを用いてのこのような連絡をするのは少々粗っぽいというか、一方的すぎる。単純な抗議はできるかもしれないけれど、例えば、本間君が同じようにメールで反論しはじめたら埒が明かない。時間を置いて返信出来るぶん、揚げ足をとったり、気に食わない表現をあげつらったりして、元々の論点も分かりにくくなってしまう。そうなるともう建設的な議論には発展しない。

本間君に電話をしてその旨を伝えると、「琢也を厚木から呼ぶと大変だから、今夜三人で直接話そう」ということになった。

 

仕事が終わってから三人で外で会い、ミヤにメールの内容を順を追って話してもらう事にした。ただなぞるだけでももう一度口に出した方がいいと思った。有耶無耶にしないため、というのもあるが、一つ一つの議題に関する温度感を話ぶりとともに確認したかったし、そこに適切な質問を投げることで本来の主張が見えてくる。

進行は僕が務める事にした。浮かび上がってきたのは、売上の下がったたい焼き店運営に対する本間君の関心の低さとその不誠実さ、そのことが共同生活も含めた全体の士気を下げているし、態度としても失礼だという旨の不満だった。

確かにここ最近、本間君は店舗の管理も、生活の様子も乱雑であった。店舗運営に関しては簡単に言うと飽きているようだったし、家のことも自分で率先してやることはなくなっていた。口うるさく言われるのを嫌がる本間君には誰もなにもいわず、いつも誰かがそれとなく肩代わりしていた。信頼関係があるからというよりも、感情のぶつけ合いが面倒だったのだ。ミヤの場合、それが積もり積もったのだろう。

そのように用件を整理し終えると、話を聞いていた本間君がゆっくりと口を開いた。

「俺は、いままで仕事と私生活を一緒に考えてたところがあったと思う。たい焼き屋で働くのも楽しくなきゃ嫌だったし、どうやって楽しくしようかと思ってた。これが『仕事』だっていう意識ははっきり言って薄かったと思う。それが良いか悪いかは別として、そのことがメリハリをつかせづらくしてた。目を逸らしてた部分もあったと思うし、 その一方でミヤは頑張ってて、そこに変な話、引け目みたいなものもあって、そこからも無意識的に目を逸らしてたんだと思う。メール貰って気づいた」

今度は僕とミヤが黙って聞く。

「結局、踏ん切りつけて割り切らなきゃいけないよな。仕事が楽しくなかったら、辞めるか、それでも本気でやるかしかない。中途半端に続けるのが一番よくない。楽しくないからやらないって選択肢もあるし、俺はずっとそうしてきた。 でも、今はやる。思い詰めさせてしまって申し訳ない」

本間君の発言にミヤも納得したようだった。しかし表情は緩めぬまま「お願いします」と一言だけ言った。そのへんが落としどころのようだったので会計を頼んで店を出た。

 

またあるとき、各々ただ惰性でタスクをこなすだけになっていた世界一周企画に関して本間君が疑問を投げかけた。

「俺がやりたいのって、やりたいって言ってきたのって、中身の入ってない袋だけ用意して、はいどうぞって渡すものなんだ。ぜんぶ準備された旅なんて面白くもなんともないじゃん。とにかくなるべく手を加えたくない。でも気がついてみれば、いまはなんでもかんでも用意しようとしてる。気持ちのいい旅ってそうじゃない。みんなで迷走してんだ。だめだ、考え直そう」

「うん、確かにそうだ、その通りだ。どうして気付かなかったんだ僕たちは。自分たち自身ぜんぜん楽しくないじゃないか」と、皆がそれに頷き、納得しあった。

僕はだんだんとこういったやりとりに、辟易していった。

 

ミヤの抗議と本間君の謝罪を取り持つ一方で、本間君の立て直しの主張にうんうんと頷く一方で、青春ドラマみたいなこの盛り上がりにたまらない嘘くささを感じて、頭の一部が急激に冷めていくようだった。「そうだそうだ、やるしかないんだ!」と思いながら、「なんて下らない話をしてるんだろう」と思っていた。

もっとちゃんと分析すると、ミヤの抗議の際「楽しくなきゃ嫌だ」だなんてこの期に及んで言えてしまう本間君の自分勝手さにちょっとした不信感を覚えていたのだと思う。こんな次元で言い争いが起こることが馬鹿らしかった。そのうえ、最後には精神論で決着してしまう。僕は、どうしようもない自分たちの偽物感に嫌気が差していたのだ。

しかし、みんないまのたるんだ空気をなんとかしようと、不満の言い合いになる一歩手前で前向きに踏ん張っているところである。「なんかこの感じやってられないっす」と簡単に言えようはずも無い。結果、僕のミーティングでの口数が次第に減っていった。

 

そんな僕の態度は、それから何回目かのミーティングでついに取り沙汰された。

「あーっ、もう気持ちわりい!」

「騒いだって仕方ないじゃん。言っておくけどこっちだって気持ちわるいわ」

ミーティング中、会話の中身のなさを感じて終始煮え切らない態度をしていた僕に、本間君が怒りを露にした。

たい焼き屋にしても世界一周にしても、計画性の低さや失敗を認めず、無理矢理に前向きに取り繕われるのが僕は嫌だった。ミーティングを取り成す本間君の進行も空をつかむようだったし、用意は不十分。反論をしたらしたで嫌な顔をするのがわかっていたので、それも面倒な僕は「好きにすれば」という態度でいた。

「もう!ふたりとも」

僕と本間君がそんな具合だからミヤが止めにはいった。僕たちは目を合わさずにお互い黙っていた。

なんだか突然にすべてが嫌になった。「『気持ちわりい』とか簡単に自分の感情さらけ出せばすっきりすると思うなよ」と心の中で毒づいていた。

 

「ただいま〜」

そんな折、ミヤの兄であるひろさんが帰って来た。ひろさんは住んでいるアメリカから一時帰国し、僕たちの家に居候中だった。

「ん?」

リビングに着くなりひろさんは不穏な空気を感じ取ったらしい。彼は僕たちに質問を投げかけながら矢継ぎ早に話し出した。

「いっしーと本間が喧嘩してるの?ああ、計画性がないのに体裁だけ整えるその中身のなさが気にくわないと。うんうんわかるわかる。んで本間の方は?そうだよね。とはいえ、嘘をついてるわけじゃないしね。計算するより前に、いまやりたいこと見てしか考えられないタイプだからね、俺と一緒だ」

僕はひろさんに解説され、共感されることで、かえって自分の狭量さを暴かれるような気持ちだった。斜に構えて文句を言っているだけで、現状をなにも解決しようとしていないのが恥ずかしくなる。「自分の非力ささえ認めていない、ただの不貞腐れでしょう」と突きつけられているようだ。ヒロさんはそれも見通して話しているんじゃないかという気さえしてくる。

「でもさあ、あれでしょ。君らたい焼き屋で貯めたお金で世界一周に行こうとしてるんでしょう。たい焼き屋だよ?それで『世界一周して起業しよう』とか本気で言ってんだよ?すげーいいじゃん。バカみたいで」

そういってけらけらと笑った。その痛快さに、聞きながら僕もなんだかばからしくなってしまった。なによりも、ひろさんがぼくたちを、どうしようもなさも含めて応援してくれているんだと知って嬉しい気持ちになった。

 

ひろさんのおかげもあって、その後本間君とは率直に意見をやりとりすることができるようになった。

ただ、取り直しはしたものの、一度渦巻いた感情というのはそんなに簡単には消し去れなかった。僕だけの話ではない。店舗の売上が下がるたび、それをなんとかしようと尽力する僕たち三人に対して、本間君はそれを見放して別行動取るようになっていった。僕たち三人と本間君は、距離は開かずとも常に対岸にいるような関係だった。

 

 

とにかく、そんな三ヶ月だった。暗い雰囲気が続いていることは口には出さずともみな感じ取っていた。12月に入り、そんなムードを打ち砕くためにも「人口の多い町田市で四店舗目を開店して起死回生を!」と奮い立ちはしたものの、オープン後数日間のさえない売上を見たあとに再起の可能性を主張する者はだれもいなかった。

暑さの残る9月ならまだ分かるが、今は12月。売上げの低下が、季節のせいでも町の人口のせいでもないことは明らかだった。12月になってから、僕たちははじめてその言葉を口にした。「白いたい焼きは、すでにブームが終わりかけている」。

八王子店を出したとき、都内では三店舗しかなかった白いたい焼きの店は、この秋までに二百店舗以上に増えている。どこでも買えるとなれば、いくら美味しくても購買欲求は下がる。価値の一つである「珍しさ」はすでに消費されていた。

現在でも、なんとか並みのたい焼き店かそれ以上ぐらいの売上は保っているが、今後数字は更に下がるだろう。資金的にも精神的にも、希望はほとんど潰えてしまった。

 

そんな頃合いに本間君から僕たちに宛てたメールが届いた。至急全員で話したいことがある、というのである。

一日の営業を終え、家に帰ってリビングへと向かうと、すでに他の三人がテーブルを囲んで座っていた。琢也君もこの緊急の招集に厚木から駆けつけてきている。時間は九時を過ぎたところだった。荷物を置いて僕が席に着くタイミングを見計らって、本間君が静かに切り出す。

 

「あのさ、宿の話なんだけど、やっぱり俺らがやるとしたらこれなんじゃないかな、と思うんだ」

あまりに突然だったことに加えて仕事終わりの疲れもあってか、僕はその言葉をどう飲み込めばいいのかまったくわからなかった。他の二人も黙って次の言葉を待っているようだったが、その表情に困惑の色が見て取れた。

 

それにしても、「宿」とはどういうことだろう。たしかに「宿をやろう!」という話が今まで何度か話題に上った事はあった。旅行業で起業するにあたって、「日本中のお気に入りの宿を繫げられたらいい」とか「どうせならその中でひとつぐらい、古民家でも使って自分たちでも宿やろうよ」とか、そんな話。けれどそれはあくまでも雑談のひとつであり、特別掘り下げたことはなかった。いままで散々生まれては消えた、「こんなのやったら面白いね」「それいいね」で終わるアイデアの一部である。

「宿……?どういうこと?」

口を開いたのはミヤだった。僕も同じ気持ちである。琢也君もきっとそうだろう。あれこれと推測する前に、まずは質問をしたかった。

本間君はうん、と頷いて答える。

「つまり、バッパーってこと。宿って、泊まる先での旅人との交流が面白いのに、日本にはそういう文化が全然ないからさ。旅がしづらいよね」

本間君はどうやら質問の意味を取り違えているようだった。

本間君が旅していたオーストラリアでは、バックパッカー達が泊まる宿をバックパッカーズ、縮めて「バッパー」と呼んでいるらしい。日本やアジア圏ではゲストハウスとも呼ぶらしいけれど本来の英語の「ゲストハウス」はまた違うものを指すらしい。しかし、聞きたいのはそういったことではなかった。「なぜ、いつ、どうやってやろうというのか」「旅行業とはどう結びつくのか」ということだ。

 

それに、本間君の意図はまだ分からないが、今回の急な招集とさきほどの口ぶりを合わせて考えると、まるで宿の方を事業の主軸に据えるような言い方だった。今まであれほどやりたいと言ってきた旅行業を捨ててということだろうか。自分たちが将来どこに基準を置いて起業するかについては、世界一周中で自分たちの理念を掴んでから組み立てよう、という話だったはずだ。なぜ、どうして突然にそんなことを言い出すのだ。

琢也君とミヤもよくわからないといった表情で、それどころか「また勝手な事を」とでも言い出しそうな雰囲気だった。正直に言って、資金獲得の目標を達成するため、少しでも売上を伸ばそうと毎日店舗のことに向き合っている僕たちにとって、突然将来の話を持ち出されても寝耳に水というか、勝手な印象はどうしても拭えない。

 

さあ、もう十分わかったでしょう、といった風に本間君が話を戻す。

「前から言ってたけど、俺にとって旅=宿である部分は大きい。しかもいま政府が外国人を日本に呼びこむキャンペーンを政策として立ててる。 日本を観光立国にしようとしてるんだ」

「京都の方でも、いま、日本に昔からあったユースホステルや民宿・旅館の形じゃなく、 『バックパッカー』ができ始めて、ちゃんと商業的に展開しようとしてる」

「俺たちの友達でも、宿つくりたいとかゲストハウスやろうとか言ってる人はたくさんいる。絶対流れが来てるよ。これに乗らない手はない。というか、いまからでも遅いかも。 世界一周から帰ってきて、『はい、バックパッカー広まってました』ってことだって十分ありうるよ」

 

続けざまに話す本間君が言いたいことはつまり、「旅行業ではなく宿業をやろう」だった。

そして、ここまで聞いてなぜいま緊急招集をしたのかの疑問が解けた。本間君はある種の後ろめたさからなのかはっきりとは言わなかったけれど、この発言には一つの可能性が含まれていた。みんなは気付いているだろうか。

僕は本間君の顔を伺う。僕たちの気配を感じ取ってか、本間君はまるでわざと真面目さを演出するみたいに落ち着き払っていた。「信念はここにあり」といったような表情がいまは余計に戸惑いを生む。

ならば、と僕は思う。いっそ、ちゃんと聞いてしまったほうがいい。僕は頭の中で慎重に組み立てて言葉を口に出した。

「……ということは、世界一周に行かないという選択肢もあるってこと?」

琢也君とミヤの顔が上がる。本間君は真っすぐ僕を見たまま、少し間を置き答えた。

「うん、あるね」

 

 

うん、あるね、じゃないだろう、なにを一人でぜんぶ決めて来たような顔でそんな大事なことを言い出すんだ、という二人の文句が聞こえてきそうだった。もちろん僕にもその気持ちがある。

そこから、堰を切ったようにミヤと琢也君からの反論が始まった。

「いやいやいや。そんな、今から『やっぱ行かない』って、参加者はどうなるの?そんなの勝手すぎるでしょ。責任放棄だよ。自分の生活を変えて参加を決めてくれた人だっているのに」

 世界一周に一緒に行きたい人を募集したところ、これまでに僕たち以外に五人が集まっていた。ミヤは世界一周企画の中心人物でもあるため、この一年、企画書を作ったり参加者と連絡をしたりし続けたりしている。そこにかけた時間ぶん、思いがある。

ただ企画が白紙になるだけでなく、本間君の気持ちを具現化しようと思って組み立てていたので、その悔しさもあるのだろう。強く思っていたのは自分だけなのか、と裏切られたような気持ちなのだ。

「それに、お前の言ってた『思い』の部分、起業するための芯の部分はどうするん?それを見つけるための世界一周やん」

琢也君は世界一周が決まる前、そんなことしても仕方がないと主張する立場だった。こうして反論をするのは、琢也君自身、長い時間みんなでつくり上げてきた企画に心が傾いているからだろう。 仲間と一緒にことを成し遂げることに人一倍の憧憬があることも、みんなで旅する楽しさに心引かれていることも僕は知っている。

 

本間君は二人のそれぞれの意見を最初から最後まで聞いて、それから答えた。

「ミヤ、そういう可能性があるってだけで、行かないとは言ってない。琢也、芯になるうるものは言葉にならないだけで、もうすでにあるはず、あくまでも世界一周はそれを確認するもの。見つけるっていうのは、ちょっと違う」

そう聞いたところで、僕たちの気持ちは収まらなかった。

たしかに、不安要素はたくさんある。世界一周に行くには誰かにたい焼き店を引き継がなければならないし、帰って来たあとに資金が無くなった僕たちは、また働き口を探して稼がねばならない。でも、それよりも大事なものを見つけに世界一周に行くんだと思っていた。

こんなときに、専務から言われ続けていた言葉が脳裏によぎる。

「世界一周なんてやめとけ。馬鹿か、あんたらは。せっかくためたお金を、せっかくためたお金を!ただ遊びに使っておしまいか。もっと冷静に考えなさい。」

それに対して、本間君こそ今までずっと「遊びじゃない」と反対して来たじゃないか。「旅なんてよくわからないよ」という僕やミヤに向かっても、その価値を主張して来たのではなかったか。

 

僕は、僕たちは、このまま本間君を信用出来るのか。宿泊業や世界一周のことだけはない。これから先もずっと、やるべき仕事もないがしろにして、僕たちの意見も一切聞かずにこうも簡単に考えを変えて行く本間君に付き合っていけるのか。

あれこれと議論する間に、時計の針は午前二時を回っていた。どれだけ話そうとも、一日二日で片が付くような話ではなかった。

 

 

 

 *これらの記事は当時書かれていブログや日記を元に新たに書かれています。