NOTES

雑記:2023年3月31日(あれから3年)

 

2023年3月31日。書き終わる頃には4月になってしまうと思うけど書き出したのが31日なので31日の書き付けということにして欲しい。

改めて過去の日付を振り返ってみると、新型コロナウイルスの感染拡大を理由に全館閉業を決めたのが2020年4月3日なので、我々の会社がコロナの煽りを受けてからだいたい3年の時が経ったことになる。

当初SNSなどでよく見かけた「ぜんぶが落ち着いたらみんなで抱き合って喜ぼう」みたいな劇的な形ではなかったが、あれから時が経ち、すべてではないにしろある程度の収束を見ている。カフェやバーは人があふれ、宿には旅行を楽しむ外国人の笑顔が増え、スタッフは毎日働くことができている。全館休業時は毎月2000万ほどの赤字を叩き出し、我々経営陣は倒産がリアルに頭を過ぎっていたので会社経営的な意味でもずいぶん落ち着きを見せた。

また、3年前の当時は代表交代の直後だったこともあり、新しく代表になった藤城の心中はかなり複雑だったはずである。実際には代表交代自体は2019年の秋ごろに決定していたのだが、書面上で名前が変更になったのは2020年の4月1日。コロナとあまりに同時のタイミングだったので藤城は友人たちから「(前の代表に)騙されて負債負わされるんじゃない!?」と心配されたらしい。そうだよね。

2020年の4月、この後に「固定費をなるべく抑えよう」の理由で解約してしまった当時の事務所で、藤城と本間(前代表)と僕で「いかに明るく自己破産するか」の話をして過ごした夜もあった。あのときこっそり録った音源は誰に聞かせることもなくまだiPhoneの中で眠っている。もうそろそろ消してもいい頃かもしれない。

日付が変わる前に「3年間お疲れさまだね」と藤城にメッセージを送る。あれから3年、少しずつ少しずつ、我々は会社をやってきた。

代表交代を決めてまもなくの頃の藤城は「自分は社会に対してしたいことは特にない」と話していた。前代表の本間が社会に対してのアクションについて話す人物だったので、比較しての気後れのようなものもあるのだろう。当時僕は「いや、きっとあるよ。まだ言葉になっていないだけで」と返答しながら、こう言える正直さ、そうとしか言えない飾り気のなさがこの人の人となりだろうなと納得もしていた。適当にうまいことを言うような人だったら、それはそれで信用できないし。一方で「いや、きっとあるよ」も、もちろん本心からの言葉であった。

「『社会』は別に全世界と捉える必要はなくて、どんな人たちに、自分たちの事業がどう伝わって、結果どうなったらいいと思ってるかを素直に考えればいいと思う」

「いやあ、それならあるな。Backpackers’ Japanのつくる宿はもっといろんな地域のいろんな人に届いた方がいいと思ってるから」

「そうだよね。んじゃあどういう会社にしていったらいいか考えよう」

と話したのがブレイクスルーになって、そこから改めて会社の理念について考え固めていった。僕からすると、代表交代を決めたときでもなく、コロナのありなしも関わらず、あれが新体制の第一歩目だったように思える。

 

この3年の中で、藤城と話していて特に印象深かった言葉が「俺にはできないことをできる人たちが会社のできることを広げていってくれるのが嬉しい」だった。

新規事業の立ち上げ中だったか、なんだったか、なにかのタイミングでぽろっと出た一言。あまりに自然だったので、思いがけず核心に触れてしまったような気がして一瞬びっくりした。同時に、この会社はいま「そちら側」に変わるべきだと強く思った。「経営陣のやりたいことをなるべく多くの力でやろう」から「会社の未来も可能性も一緒にやる人たちの力で広げよう」へと。縦の直線から扇型へと。

その前提もあり、会社としてのビジョンを設定した。初めからすべては無理でも、少なくとも広げていく力がある人が居やすい環境にしたい。いちスタッフが「なんで(会社は)〜〜してくれないんですか」という発想になるのは仕方がなくもあるけど、そこから抜けて、僕らと並び立つ人がいる方が当然嬉しい。

会社規模の視座でなくてもいい。自らの手で作り出す、生み出す経験は純粋に楽しい。その気づきが増えてくれたらいいなと思う。やっぱり、不平不満は簡単だしつまらないんだよね。能動的な実践でしか癒せない欲求不満がある。誰の所為にもせずこれがいいと感じるものについて自分で責任を取って実行していく楽しさは、僕らの会社が今だから与えられる環境のひとつであると思う。

……実のところ、数年前までは会社は個々人の自己実現の場であるべきではないと思っていた。前述の通り「経営陣のやりたいことをやるのがいい」と思っていたというのが理由だが、同時に、動機が枯渇してしまうことや摩耗してしまうことだってありうるし、その度無理やり奮い立たせるのは違うとどこかで気付いてもいた。それに、いまよりももっと未成熟だったこともあり、みんなが好き勝手なことをしてしまった場合にまとめられる自信もなかった。今は状況も違う。会社の方向性や文化を共感させた上で全体の成長と一人一人の自己実現が相乗するのがいちばんいいと感じている。

いまはまだ具体的な案になっているわけではないが、会社としての5年後10年後を一緒に考える人も、今の役員5人体制よりさらに増やしたい。宿業をこれからどう伸長させていくかを話す機会ももっとつくりたい。我々の会社はこれからさらになにができるか。いまの僕たちにはまだできないことで、この会社をさらにもうちょっと、思っても見なかった方向に進ませてみたい。

「俺にはできないことをできる人たちが会社のできることを広げていってくれるのが嬉しい」に沿って、Backpackers’ Japanは少しずつ新しい形になっていると思う。でも、まだまだ道半ば。

1年前、経営メンバー5人で中期経営計画をつくった際、「この会社がまだ何十年と続くとして、後から振り返ったとき、いろいろやってるし、右往左往もしてたけど、なんだかんだあの時がいちばん楽しかったねって思うような10年にしよう」と話をした。コロナがあってあれから3年。まだ、もっと楽しくしたい。

 

Written by

石崎 嵩人

1985年栃木県生まれ。Backpackers' Japan取締役CBO。2010年2月にその他創業メンバーと共にBackpackers’ Japanを設立。CBOとしてコーポレートアイデンティティ設計やブランド構築、事業ごとのコンセプト立案やクリエイティブディレクションを担う。個人の活動として、出版サークル「麓(ふもと)出版」、ラジオ「ただいま発酵中」等。