STORY

第6話 | 2008年10月27日

本間君は僕たち二人の困惑を無視して言葉を接いだ。

「日本もいいんだけど俺は世界一周がしたい。行きたいやつみんな連れて。こうさ、まっすぐ続く道をさ、日本人10人ぐらいがみんなバックパック背負って歩くんだよ」

説明を加えた彼だったが、その嬉々とした話し振りはかえって僕たちの煩悶を助長した。

「日本もいいんだけど」というのは季節労働のことを指しているのだろうと僕は推測した。働きながらではあるものの、旅行業を始める前の僕たちにとって日本各地を飛び回ることができるのは絶好のチャンスである、といって決まったはずの季節労働案をこうもあっさりと棄却して「世界一周がしたい」と言い出すだなんていくらなんでも身勝手過ぎやしないだろうか。疑問を伝えるべく僕は口を開いた。

「えっと……ちょっといきなりでよく分からないんだけど、季節労働はどうするの?」

「え?」と本間君は僕の疑問に疑問で返した。彼はほんの一瞬思案を巡らしたのち「ああ」と頷いた。僕の質問の意図を捉えたようだった。

「いやそうじゃなくて、季節労働は計画通りやるよ。この前の話の通り、一年間で目標は貯金1000万円。世界一周はその後の話で、起業する前にその貯めたお金を使って世界一周しようってこと」

 

その後の説明をさらに聞いてみると、本間君の主張はつまり、「お金が貯まったところで、創業メンバー全員がただの旅行とは違う『旅』を肌で実感し言葉で伝えられなければ、成熟した今の旅行業界に割り込んではいけないだろう」ということだった。

初めからそこから説明すればもっと分かりやすいのに……と僕は思ったが、もしかしたらわざとかもしれない。本間くんは自分のペースに引き込むのがうまく、それに無自覚なところがある。

「まあ言ってることはわかるし、その通りかもとも思う。でもあまりイメージ湧かないなあ」

と僕は正直に思っていることを伝えてみた。旅の感覚が実感出来ていないということに関しては、海外経験のない僕がまさに該当するわけだが、「世界一周」とポンと言われても、旅の感覚とやらを掴める想像はできなかった。

「イメージは湧かなくてもいいんだよ。行ったらわかるかどうかですら、確証のある話じゃないし。ただもし掴めなかったらそのまま仕事にすることはできない。アイデアのない丸腰の状態じゃきっと戦えない」

ふむ、と思う。確かにその通りではあるんだけれど、それすらも机上の空論というか、腰の落ち着かない印象がどうにも拭えなかった。本間君はそのまま続ける。

「それに、ただ旅の感覚を実感するためだけじゃない。俺たちは旅を仕事にするってことだったり、それに関して責任を持つってことだったりがまだよく分かってないと思うんだ。だから自分たち以外に参加者がいるって環境をつくって、そこで俺たちはどんなことができるかってのも知っておく必要がある。つまりモデルづくりだね」

話を聞く限り、僕たち以外の「行きたい人」を「参加者」として募るつもりであるようだった。友達や仲間と行く訳ではなく、僕たちのつくる「企画」に対して参加者を存在させる。それが今後自分たちの旅行業を描いていく為の準備に繋がる、という理屈である。

「……いやぁ、それはキビしいやろ」

これまで黙って聞いていた琢也君が口を開いた。言ってることは分かるし、そりゃあできるならそうしたいし尊重したいけれど……そんな感情がこめて彼は「キビしい」と言っているようだった。

僕たち二人はこの突飛な提案をすんなり承諾できるわけもなく、この議題は当然のように膠着した。

 

僕も琢也君も、本間君が言っていることは自分たちなりに理解できているつもりだった。

今はまだ事業の核になりうる「これ」というものがない。旅行業は手段であるとして、その芯が「旅を価値観を伝える」では曖昧すぎる。僕たちの指針なり目標なりになりうるものが、明確な言葉になっていないのだ。

やりたいことや思いつくことをノートに書き出していても見えてくるものではないだろうし、ましてやただ需要を満たすためのビジネスがやりたいでもないので付け焼き刃でもいけない。僕たちは心の底から信じられる行動原理を必要としていた。

本間君が探す「これ」とはつまり、商品にとってはコンセプトになり、会社にとっては理念になり得るものである。言葉にする、というのは一見簡単に思えて非常に難しい大事な作業だ。形のない概念に言葉の枠を与え、客観的な価値へと一般化する。その過程を本間君は世界一周で見つけたいと思っている。

ここまでは理解できるのだが、貯めたお金があるのに起業を先延ばしにする上に「そのかわりに世界一周いってきます!」という行動はいささか楽天的すぎるんじゃないのかという気持ちがあった。

琢也君は「無謀だ」と反対、しかし本間君は「絶対に必要だ」とお互い譲らなかった。僕はどちらとも言えず、パソコンの前で終始腕を組みながらどうしたものかと考えていた。

同時に、この世界一周どうこうの枠を飛び越えて、本間君にこれだけは聞いておかねばならないな、という事柄が今日のやりとりを通して僕の中に浮かび上がっていたので、そのことに対しても思考の容量を使っていた。

 

一時間ほどの議論ののち最終的には、反対の理由が「無理」「無謀」であるならそれを判断するのはもっと後でもいいんじゃないか、と世界一周が押し切られる形となった。後になって、例えば一年後資金がある程度貯まった状態で現実的な選択を取るならわかるが、初めから選択自体を狭めるのは勿体ないだろうという論理である。

「ほんとに無謀かどうか、甘いのかどうか、『お金がない』とか『時間がない』とか、それはやってみてから考えよう。もしそれでだめになっても、俺たちはみんな立て直せるよ」

本間君は自信満々でそう言い放った。琢也君は「しょうがねえなあ」というような応え方をしたが、言葉とは裏腹に世界一周に行くことにはまんざらでもなさそうな様子だった。

 

 

ミーティングを終えて数時間後、僕は本間君に電話を掛けた。先ほど浮かんだ疑問をぶつける為である。本間君は直ぐに電話に出た。

「あのさ、聞きたいことがあるんだけど。本間君はさ、本当に起業したいの?それともただ旅したいだけなの?」

本間君を見習って、なるべく言葉を少なく、直球で聞くことにした。

旅の価値観を伝えるだ起業するだなんだ言ってるけれど、それはこれからも働かずに楽しいことをするためのただの建前、大義名分なんじゃないの?という意味合いの、嫌な質問だった。本間君の答え方次第では、僕の気持ちはごっそり削がれてしまうかうもしれないと思っていたので、僕にとっても緊張する質問であった。

「ああ、そうか、そうだね。いいこと聞いてくれたよ、いっしー」

僕の質問に対する彼の第一声は想像したどんなものでもなく、僕は少し怯んだ。

「みんなと旅をしたい。世界一周に関してだってそうで、これは本当で素直な気持ち。でも旅をし続けたいわけじゃない。世間とか社会から離れて放浪したいわけじゃない。社会に根付いて旅を創りたい。伝えたいものがあるから、起業したい。これも本当。率直にそう思う」

聞きようによっては十分嫌味な質問に対して、真っ向から返される。これに関して僕は特に応えず、軽く息を吸って緊張状態を続けたまま聞いた。

「なら世界一周に関してはどっちが中心にあるんだろう?自分が旅したい気持ちと起業のためのモデリング、どっちが建前でどっちが本音?」

「建前と本音ね、ちょっと待って考えるから。……うん、そうだな。やっぱどっちも本音だわ」

僕は一瞬黙って、はあ、と吸った分の息をまとめて吐いた。十分かどうかはともかく、納得できる回答だった。

「うん、OK。分かりました、ありがとう」

僕はそう言って電話を切った。本間君も「あ、もういいの。おうまたね」とそんな調子だった。

僕は「ああもう参ったなあ」という気持ちで少し笑った。笑いながら、変わった人だな、と改めて思った。

 

 

季節労働を一年して、その後世界一周することを僕たち三人が決めたその数日後、「参加保留」となっていたミヤから本間君の元に電話がかかってきた。

「決めた。やります。私、ビビってただけだった」

改めて話し合うようなことはせず、僕らはそのままミヤを迎え入れた。季節労働、そして世界一周が決まった話をするとミヤはそのさらに数日後に、誰に頼まれたわけでもないのに世界一周の企画書を作り「これをひな形に作っていきましょう」と僕らに発表した。その仕事の早さに思わず声を上げる。

10月も最終週に突入していた。僕が参加することを決めてからまだ一ヶ月しか経っていなかった。

 

 

*この記事は、当時書かれていたブログや日記を元に、新たに書かれています。