STORY

第11話 | 2009年3月26日

帰宅してベッドに放り投げていた携帯電話が突然鳴った。ハンガーに掛けようとしていたスーツを一度椅子の上に置き、電話を取る。着信は琢也君からだった。

琢也君から僕に電話がかかってくること自体そうあるものではない。ミーティングを待たずに脈絡無くかかってくる電話がいい知らせである可能性は低いように思えた。

「大変な事になった」

琢也君は僕が電話に出るなりそう言った。案の定その声には焦りの色が含まれていた。

「えっ、何。どうしたの」

あれこれと可能性を考える。突然電話を掛けてまで話される用件と言えば、世界一周か季節労働に関してのどちらかしかあり得ない。

二週間ほど前、僕たちは一年後の世界一周企画をブログとホームページで公表していた。一緒に行く参加者を募るためだ。しかし世界一周はあくまでも一年後の話。そこまで緊急性を持った問題が今起こるとは考えづらい。となると、十日後に迫った季節労働の方に問題が起きたと考える方が妥当だろう。

 

僕の問いに琢也君がやや早口で答えた。

「今連絡があって、来月のお茶工場、三人で行けなくなるかもしれん。社長が二人で来いって」

予想は見事に的中していた。一拍置いて僕はため息をついた。

大きく驚かなかったのは、お茶工場の社長の気変わりはこれが初めてではなかったからだ。十日ほど前に社長から連絡があり、やはり四人は雇えないので二人で来て欲しいと伝えられていた。

一度四人で良いと許可を貰っているため、僕たちは社長に食い下がった。実家に働き口のあるミヤを後の合流とし、せめて男三人は働かせてもらえるように再度頼みこんだのだ。

交渉の末「そこまで言うならば」と社長が熱意を認めてくれ、胸をなで下ろしたのがほんの一週間前のことだった。

 

この一週間の間にまた社長の気が変わってしまったのだろうか。社長がどういった理由でまた意見を変えたのかはわからなかったが、だからといってそのまま納得するわけにもいかない。僕は詳細を確認するために琢也君に聞いてみた。

「また気が変わったって?今回は交渉のしようがなさそうなの?」

「おそらく。それどころか少し怒り気味らしい」

 

詳しく聞いてみると、昨今の不況下にあって社長は規模を縮小するのではなく、逆に設備に再投資して今年から勝負をかけていくと意気込んでいるとのことだった。そのため働いてくれれば誰でもいいという今までの考えから、なるべく経験者を揃えるような方向へ方針を変更したらしい。

前回と同じように熱意を伝えても、「働かせてもらえると決まったから他の三人は会社を辞めたんです」と抗議口調で話しても、「それはこちらには関係のないこと」の一点張りで取りつく島がないらしい。琢也君は本間君から伝え聞いた状況を僕に話した。

 

一月にお茶工場へ向かったときのことが思い出される。社長の煮え切らなさ。それでもなんとか了解してくれた瞬間の嬉しさ。契約書など形に残るものを要求しなかった僕たちにも責任がある。思いつきもしなかった、といった方が正しいけれど。残念さと情けなさが混ぜこぜになって悔しい気持ちになった。

「二人で行くかどうするかの決定は一週間後の29日まで。またなにかあれば連絡するわ」

と言って琢也君は電話を切った。

 

電話を右手に握ったまま背中からベッドに倒れ込む。部屋の天井を眺めながら僕は考えた。僕たちに与えられた選択肢は大きく二つある。

一つはお茶工場で働く予定の七月までの間、二チームで別行動をし、二人はお茶工場、他の二人はなるべく割のいい別の仕事を探すという案。

もう一つはお茶工場を諦め、リゾートバイトなど短期かつ四人で住み込みのできる働き口を別に探すという案である。

お茶の期間が終る七月からは計画通りシャケ漁を始めるかたちで季節労働に戻ればいい。しかしお茶工場での稼ぎが試算上いちばん大きな割合を占めている。二人だけ違う仕事をするにしろ、四人で違う働き口を探すにしろ、お茶工場の穴を塞ぐような給料の良い仕事を探すのはかなり難しそうだった。

いつか本間君の弟に言われた台詞を思い出す。

「んで、季節労働が途中でポシャったらどうするつもり?考えてないの?そこまで考えてやってるんじゃなきゃ遊びと一緒だろ」

僕たちは、突然うまく行かなくなる場合の危険予測をあらかじめしておくべきだったのだ。

 

 

次の日、退職の日が迫る僕のために支店の人が集まって駅近くの居酒屋で送別会を開いてくれた。突然の事態が気がかりではあったがもちろん行かないわけにもいかなかったし、僕自身お世話になった方たちに挨拶をしたかった。

「お前がこの先これ以上大きな会社に入る事はまず無い。断言してもいい。一年で会社を辞めたって言うレッテルがこれからもずっとついて回ること、その意味を噛み締めてから進め」

「会社ってやつはさ、やっぱり辞めるやつには冷たいんだよ。……お前さ、金だけは気をつけろよ。んで『ついていこう』とは思うな」

「残念だけどな。残念だけど、しっかり頑張れ」

支店長、上司、先輩……いろんな人がいろんなことを言ってくれた。言葉だけ拾うと冷たく聞こえるが、実際はどれも優しく話されていた。少なくとも僕はそう受け取った。

たくさんの感謝の気持ちを伝えてたくさんお酒を飲ませてもらって店を出た。季節労働の計画が危ぶまれていることは、僕はどうしても伝えられなかった。

 

 

琢也君から電話を貰ってから、僕たちはなるべくいい条件の選択肢を増やすため、山小屋やリゾート地の募集をインターネットで探して片っ端から労働条件を聞きこんでいく。

退職の手続きを終えた僕とミヤはそれぞれ実家に帰ってその作業を続けた。琢也君は東京に残り、僕たちが聞き込んだ条件を元にお茶工場で働く場合と比べるための試算をした。

 

問い合わせをはじめてみてわかったことがいくつかある。

リゾートバイトの派遣はバイト先と直接ではなく、仲介業者が希望者の登録を取りまとめ、必要なときに連絡を寄越すケースが多いこと。5月に入ってからの募集は多いが、4月初旬からという微妙な期間から始められるところは少ないこと。給与面が案外不明確であることなどなど。

つまり、お茶工場と比べると給料が明確でないもしくは確実に少なくなる。その上、雇用の形態によっては四人で集まる時間を取るのはかなり難しくなりそうだった。

四人で住み込みのできる別の働き口を探そうとしたのは、随時四人で事業や世界一周について話し合えるメリットがあるからである。それがそもそも出来ないのであれば、給料のいいお茶工場に二人を残してお茶の方でしっかり稼いだ方がまだ割がいい。

僕たち四人の意見も割れていた。

「チームを分けてでも少しでも多くお金が貯まる方を選ぶべきだ」という意見と、「四人で行動できるメリットを大事にしたい」という意見があった。

僕は四人で行動したほうがいいと思っていた。というのも、話し合いの時間が持てるメリットはもちろん、「この四人が本当にチームになれるかどうか」がなにより大事だと思っていたからだ。

「一年間で1000万円」は目標に過ぎない。多少貯金できるお金が少なくなっても、四人で苦悩して一つのことをはじめる方が、後々僕たち自身の結びつきが強くなると思っていたのだ。

しかしそれは甘い考えだという意識も同時にあった。

いくら仲良く始められても、世界一周時、またはいざ起業するタイミングになったとき資本がなくては困る。このとき、僕たちの呼びかけに応え、世界一周の参加を決めた人がすでに二人いたため、企画側としての責任もあった。世界一周は、全員で貯めた貯金のうち、一人100万円を使って行く予定だった。

それに、一年間で1000万円という大味で荒唐無稽な計画が、いつの間にか僕らの精神的な支柱になっていた。無理をせねば届かなそうな金額の設定が自分たちを奮起させていたのだ。

もしここで目標の金額を変えたり、届かなくてもいいかと甘えてしまえば、起業そのものがはるか彼方へ遠のいてしまうような感覚がなんとなくあった。

 

他の三人と意見交換をするなかで、チームを分けてでもお茶工場の線を残して少しでも稼ぐ方の選択肢に、僕の気持ちは変わっていった。四人で話し合う時間も、チームの意識も、あとでしっかり合流できれば取り返しがつくように思えてきた。

その週の半ばに行なわれたSkypeのミーティングでは、そんな僕の意見も含めそれぞれの考えを話していった。ミーティングでは次のシャケ漁まで二人ずつに分かれて働く方向に話が傾きかけていた。

 

そんな折りだった。琢也君がとある話を僕らに持ちかけた。

「……あと、これ、全然別の話なんやけど、うちの実家でいま『白いたい焼き』ってのを売ってて、これがかなり売れてるらしい。当たればでかい」

突拍子も無かった上、白いたい焼きが何かもわからなかった僕たちは冗談だと思い「なんだよそれ」と軽く笑って流そうとした。

しかし琢也君は半分馬鹿にしたような僕たちに対し声色を変えることなく「いや、親父も『お前らやってみろ』って言ってくれてる」と続けた。真剣な口調だったので僕らは黙って話を聞く事にした。

琢也君の実家は大分で焼肉チェーンを経営しており、白いたいやきを売り出した会社に最近FC加盟し、何軒か出店をしているとのことだった。

白いたいやきは福岡発祥で現在西日本を中心に徐々に店舗を増やしている。しかし、東京には未だ二店舗しか無い状態で、これから必ず伝播していくというのが琢也君のお父さんの見解だった。

しかも、直営店を含めた現在ある全店舗の中で、琢也君のお父さんが開いた店が群を抜いて売り上げの一位を叩き出していた。

 

琢也君のお父さんは、東京に自分の焼肉屋を出すのが目標の一つらしく、今回たいやき屋を東京に出店して、その足がかりにしたいという。

大分から社員を送ることもできるが、そのためには寮となるような部屋を借りる必要もあるし、土地勘がないところから出店の調査をはじめねばならない。そのため僕たちがやってくれれば助かる部分もあるというわけだ。

つまり、僕らにたいやき店経営のノウハウを叩き込むから店の責任者として入らないか、という話だった。

聞きたいことはたくさんあった。いくらぐらい稼げるのか、どういったかたちでの契約になるのか、うまく使われるような話ではないのか、なぜお父さんの店だけそんなに売れているのか、まずもってほんとうに東京にもブームが来るのか……とはいえ、現時点では琢也君もわからないことだらけだろう。

僕は自分の中で考えを整理することにした。ミヤが黙っていたのもそういう理由かもしれない。

しかし、説明を聞き終えてすぐ、僕が思い浮かべたどれとも違う質問を、本間君が琢也にした。

「それで、琢也はどう思ってるの」

これはこれで、提案の芯を突く質問だった。そしてその問いに琢也君は毅然として答えた。

「俺はありだと思う。少なくとも積極的に選択肢に入れるべきやと思う。ただいくら稼げるかのか試算すらできなくなるからそこがわからんけどな。東京でやるなら余計。賭けにはなる」

 

琢也君がお父さんとその仕事を尊敬していることは全員が知っていた。こう言い切る背景にその絶対的な信頼があることは僕たちにも想像できた。そして、父の仕事を心から誇りに思う琢也君のことを僕たちは尊敬していた。

しかし商売を仕事にしたことのない僕たちにとっては、琢也君以上にこの話を不明確なものとして捉えるしかなかった。商品をつくって、売って、お金を稼ぐ感覚は、わからすぎて不安すら想像できなかった。

 

僕は自分の頭に浮かんだ先ほどの質問群の中から、一番大事なものを取り出して聞くことにした。そう、僕たちには季節労働で試算した一年間で1000万という目標があるのだ。

「当たればでかいっていうけど、どれぐらいを見越してるんだろう。僕らが店を任せてもらうとしたらいくら貯められるんだろうか。いますでにお店を出してるなら大体の利益も分かるよね。その辺に関しては琢也君のお父さんはなんて?」

琢也君はうんと頷き答えた。

「うまくやれば1000万も夢じゃねえぞって」

全員が沈黙した。その回答は琢也君のお父さんの経験に裏付けされたものだろう。しかし、僕たち自身、季節労働の試算時にさんざん『絵に書いた餅』だの『捕らぬ狸の皮算』だの言ってきたくせに、この台詞はそのどれよりも嘘のように聞こえた。

誰もそれに関してうまく発言出来ないまま、琢也君がさらに加えた。

「それから親父がこう言ってた。『そもそも季節労働なんて、お前らそんなの浮浪者と同じやねえか』って」

再び黙り込む僕たち。琢也君も黙る。もう言うことはない、というような黙り方だった。

 

白いたい焼き。

現在のところ、お茶工場に匹敵しかつ四人で行なえるような他の仕事は見つかっていない。突然現れた選択肢に運命を感じないわけにはいかなかった。白いたい焼きなら四人で始めることができる。1000万貯めるのも可能だと言ってくれている。

けれどこのとき誰もが思ったであろう。「旅、関係なくなっちゃうな」「なんだかちょっと格好がつかないな」と。

 

なにを選ぶにせよ、ここで安易に選択してしまってはそれこそ二の轍を踏むことになる。もしたいやき店を構える選択をするなら、季節労働と違って途中で路線変更というわけにもいかない。

期限はあと三日。なにかしら覚悟はせねばならない。頭にたい焼きを思い浮かべてみたが、今の緊迫したムードに明らかにたい焼きは似合わず、僕は思わず苦笑いをした。

 

※この記事は当時書かれていたブログや日記を元に、また新たに書かれています。