STORY

第12話 | 2009年3月29日

約束の29日がやってきた。静岡のお茶工場に二人だけで働きに行くかそれとも全員辞退するかを、今日中に社長に伝えねばならなかった。

これから行なうミーティングでそのことについてが話し合われ、それと同時に僕たちの四月からの行動が決まる。

 

パソコンの電源を付けて画面を確認すると、みんなすでに揃っているようだった。僕は今ある選択肢を整理し直した。

二人だけでお茶工場に行くのなら、他の二人はお茶の終わる7月まで給料のいいバイトを探し、その後合流して四人での季節労働を継続させる。

全員が辞退するなら、7月までの間、四人でできる条件の良い住み込みのバイトを他で探し、7月からは予定通りの季節労働に戻る。

それに加え、季節労働の話をすべて白紙に戻し、白いたい焼き店の東京出店、店舗運営に携わり貯金目標を達成させるという新たな選択肢が、数日前に琢也君から提案された。

ただ、この一週間手当り次第に住み込みバイトを探した僕たちだったが、四人でできる条件のいい仕事は結局見つからなかった。そのため二つ目の選択肢は実質ほとんど消えかけているようなものだった。

 

Skypeをつないでミーティングが始まる。「まず議題に移る前にたい焼き屋のことを確認しておこう」と本間くんが言う。たい焼きの案に関しては話が持ち上がったばかりだったため、僕たちの中で質問事項を洗い出し、琢也君を通してお父さんに聞いてもらうことにしていたのだ。琢也くんがその回答をひとつひとつ伝えていく。それから親父がこう言ってた、と琢也君は最後にもう一言加えた。

「『全くリスクがないのに今踏み切らない意味がない。やれ』」

たい焼き屋の開店資金や技術面のトレーニングはすべて琢也君のお父さんの方でサポートしてくれるという。そのため僕たちがたい焼き屋を選んでも、大失敗することは確かにない。純粋に目標金額ぶん稼げるか、稼げないかという話になってくる。

 

「……とにかく、これで条件は揃ったわけだ。はじめようか」

琢也君のお父さんの一言が会議の空気を支配してしまう前に、本間君が仕切り直すように言った。

「はい」「うん」「よろしく」と、僕たち三人がそれぞれ応じる。いつもと同じ口調ではあったが、さすがに緊張感があった。考えてみれば、四人全員でする大きな選択はこれが初めてかもしれない。

「じゃあ考えがまとまってる人から。どの選択を取るべきかについて理由も踏まえて話そう」

本間君がそう切り出すと、ほとんど間をあけずに「はい。じゃあ俺から」と琢也君がまず意見を述べた。

 

琢也君の考えは四人でたい焼き屋をやろうというものだった。

季節労働よりもウチのたい焼きの方が信用できる、という分かりやすい理由だ。父の会社と契約することになることにはなるが、身内なので安心感もある。しかも本業の焼肉屋は地元で大成功しているため、長年商売で積んできた実績と勘がある。勉強になる部分も多いだろう、と琢也君は話した。

琢也君は初めから季節労働の話そのものに懐疑的だったので、彼としては無理のない正直な選択だろう。

それに、僕らの中でたい焼きの話を推薦するなら、それは当然琢也君でなければならなかった。前回のミーティングでも、もし琢也君がたい焼きに関して弱腰であったならそもそも選択肢として弱いにものになっていただろう。

逆に言えば、僕たち他の三人にとっては、会ったことも話したこともない琢也君のお父さんを信用することは難しく、代わりに琢也君のことを信用するしかなかった。

「でも、前回の話には上がらなかったけど、旅を仕事するために日本を回るっていうメリットは失われる。そこに関してはどう?」

と口を挟んだのはミヤだった。確かにそこについてはこれまで誰も言及してこなかった。琢也君はどう考えているのだろう。

「まあそれはあれやな」

うん、と少しだけ考え琢也君が続ける。

「『志売る前にたい焼き売れ』ってことやな」

その名言めいた、あまりに自信満々な物言いに僕は机の上でがくっと崩れる。

「なに、それもお父さんの受け売り?」

「いや、俺が今考えた」

「あっ、そう」

なににせよ、琢也君に迷いはなく、腹が決まったようだった。

 

琢也君の表明を受け、次にミヤが意見を述べた。

「まず、たい焼き屋は絶対にイヤ。私はたい焼き屋をやるために会社を辞めたんじゃない」

琢也君がつくった空気をキッと縛り上げるようなはっきりとした口調だった。ミヤの意見も率直で、正直であった。

季節労働で日本を知り、世界一周で世界を知り、「旅の感覚」を肌感覚に落とし込み育てていくなかで旅の価値を広められる会社をしようというのに、大事なスタートラインからいきない軸をぶらしてしまってどうするのだ。話しながら、ミヤは憤りに近い疑問を露わにした。

それは琢也君にも向けられていたし、ここまで「たい焼き」の選択肢を生かし続けてきたこと自体にも向けられているようであった。普通即却下でしょ、しっかりしてよ、と。

それからミヤは、たい焼き屋でお金を稼ぐ姿が自分個人として直感的に想像できないことや、商売をすることへの後ろめたさがあることや、会社や親への体裁を気にしていることを話した。そしてそれらは確かに「たい焼き屋をやるために会社を辞めたんじゃない」という一言によく表れていた。

 

そして僕の番になった。

自分の意見を言い終えた二人は黙って僕が話すのを待っていた。本間君はミーティングが始まったからほとんど何も発言していない。普段は自ら話して会議を進めていく彼だが、意見が分かれそうなときには敢えて発言を控えることも少なくない。俯瞰する側に回り状況を判断しているんだと思う。

ならば、と僕もそれまでの二人に倣って、自分の考えをなるべく素直に話そうと思った。本間君がまとめてくれるだろうという信頼感もあった。

「なるべく手短かに言うね。まずスタートを二人ずつに分けて季節労働に戻る方を選択するのが堅実だと思う。どうせ二手に分かれることになるのなら、仕事のない時期は派遣でも掛け持ちでもなんでも割りきって探すとして」

一旦間を置いて続ける。

「それで一年後にお金が貯まらなかったとしても一人100万円のラインを割ることはないと思う。だから世界一周には行ける。それでお金が尽きちゃったら、そのときは起業の計画を先延ばしにして、またお金を貯めよう」

再び間を置く。ここからが大事だった。

「でも、たい焼きに向けて賭けてみよう、ってみんなで思えるならそれでもいいと思ってる。そのときはやるよ」

「うん」と琢也君が言ってミヤは黙ったままだった。

論理でもなんでもない、ただの意思の発表だった。たい焼き屋を選ぶとしたら大事なのは覚悟だろうと思っていたからだ。やるなら覚悟してやるよ、とそれを僕は伝えたかった。

 

本間君が最後に口を開く。

「みんなの意見が出たので俺の意見と合わせて決めようと思う。分かってると思うけど、正解がある選択じゃないから、ここは意見を総合して俺が決める。これが最終決定になるけどそれでいい?なにかあれば言って欲しい」

それぞれ少し考えた後、それで構わない、と全員が頷いた。

「少しだけ考えをまとめたいから、五分後にもう一回Skypeをつけよう。一旦解散で」

「はい」「うん」「OK」

口々に言い、僕たちはパソコンの前を離れた。

 

 

五分経つ少し前に、僕は再びパソコンの前に戻ってきた。首を回し深く息を吐いて呼吸を整える。

不思議と落ち着いた気持ちだった。

今までと同じだ。一度突き詰めて考えたなら、あとは選んだ方を正解にすればいい。どちらになってもそのフィールドで精一杯頑張ろう、そう自然に思えたのはよかった。

だから僕は、本間君の決定を心穏やかに聞く事ができた。

「みんないるね。じゃあ、俺の方から、4月からの動きについて発表します」

僕たちはみな黙って次の一言を待った。

「色々考えたけれど、琢也のお父さんにお願いして白いたい焼きをやろうと思う」

ゆったりと一拍置いて僕が「はい」琢也君が「わかった」と言った。ミヤは答えなかった。

 

「簡単に理由を話すよ」と言って本間君が続けた。

本間君はたい焼きの話があった後、季節労働を紹介してくれた知り合いにもう一回連絡を取ってみたそうだ。その際

「去年のリーマンショックのあおりが、季節労働のルートに必ずなにか影響してくる。お茶工場の雇用取り止めもそのことと関係がないとは言い難い。この不況下で派遣が他から流れてくることを考えると、製糖にも入りづらくなる可能性がある」

と助言されたとのことだった。

「お茶の後に給料がいいのが最後の製糖。そこも難しくなるとなると季節労働自体考え直さなきゃいけない、というのが理由の一つ」

確かに本間君の言う通りである。口約束とはいえ一度決定していたはずの雇用を断られていた僕たちだったが、それはなにも今回のお茶工場だけに限ったことではないと考えるべきだ。僕たちはシャケ漁・みかん畑・製糖のあと三回ぶん、働き口を確保していかなければならない。

「それから、ミヤが言ってた旅を仕事にするっていう軸をぶらすことに関してだけど」

本間君がさらに続ける。

「ここに関してうちの親父に相談したんだ。将来の起業とは関係ないたい焼き屋でお金を稼ぐ事についてどう思うかって。そしたら、『失敗してもいい経験になるし、仮に成功したとして簡単に稼げる感覚を知ったお前らがちゃんと志の部分にもどってこれるのか、一度ふるいにかける意味でもちょうどいいんじゃないのか?』ってさ。どっちにしろそこで戻って来れないようなら会社起こしたってだめだろう、って。俺もそう思う」

琢也君も「そうやな」と本間君に同意した。

「ただ、たい焼きを選ぶにはやっぱり他のみんなの意思が大事だった。俺一人じゃ賭けられない。そう思って俺を最後にしてみんなに話してもらった。琢也はそのつもりだったみたいだし、いっしーもやってくれるっていうから覚悟決めて選ぶことにした」

本間君が次に話す言葉は誰もが想像できた。ミーティングが再開されてからミヤはまだ一言も話していなかった。

「ミヤは、どう?決定したことはもう変えるつもりはないけど、何かあれば今言って欲しい」

ミヤはうーんと言ったきりしばらく答えなかった。誰も答えを急かすことなく黙ってその続きを待った。

 

「私は」

しばらくしてミヤが口を開いた。

「……私はどうしてもたいやきで納得できない。そこまでのギャンブルを出来ないし、納得出来ないままきっと続けられない。他の手段を選びたい」

そう言った。それに対しての本間君の応答は早かった。この答えをある程度予想していたのかもしれない。

「わかった。親父の話もあるし、世界一周と起業の目的さえぶれてなければ、必ずしも全員で同じ仕事をする必要はない。ただ四人で話せるメリットは大事にしたいから、同じ場所に住んで欲しい。それはいい?」

ミヤは手短に「はい」と答えた。活力のない返事だった。たい焼きの選択をすることに賛同できない、その思いがひしひしと伝わって来る。

「うん、ありがとう。それからもう一個。こっちはお願い。たい焼きの方でどうしてもミヤの力が必要だってなった時は、そのときは来てほしい」

こういうところが本間君らしい。こんな風に言われたらいくら反対してたってやるしかないじゃないか。僕はパソコンの向こうのみんなに悟られないよう微笑む。

「よしOK。じゃあ、これで決定。4月からはたい焼き。東京に四人で住んで随時ミーティング。琢也はお父さんに連絡とって。俺は社長に断りを入れる」

「わかった。親父からまたなにかあればメールか電話するわ」と琢也君が答えた。

「はい」「了解」と僕たち二人は短くに答えてミーティングは終わった。

 

パソコンの電源を落とす。

たい焼きになったか、と改めて頭の中で呟いてみる。

友人や会社に季節労働の話をしてしまった手前、たい焼き屋じゃあ格好つかないよなあという思いもありつつ、この状況を俯瞰して見てみると、これはこれでとても面白く、魅力に溢れた展開だった。

 

さて、決まったならば次から次へとやることは出てくる。琢也君のお父さんと細かい条件について話さねばならないし、一年後の世界一周時にお店を抜けれるよう打診しなければならない。

僕たちの方でたい焼き屋を行なう物件を探す必要もあるし、4人で住む家も探すことになる。

忙しくなるなと思ったが、晴れて無職になった僕たちにとって進んでいるのかどうかもわからないこの一週間より、多忙が想像されるこれからのほうが断然良かった。

2009年4月。新たな季節を目前にし、僕たちはここで改めてスタートを切ったのだった。

 

 

※この記事は当時書かれていたブログや日記を元に、また新たに書かれています。