STORY

第13話 | 2009年4月29日

「っしゃ、誰が一番多く車を抜けるか競争しよう!」

ハンドルを握りながらそう宣言する本間君を僕は呆れ顔で見つめた。僕は助手席の窓に肘をかけて

「しばらくは交代しなくても大丈夫そうだね」

と話しかける。

シート越しに後ろを見遣ると、さきほど運転を代わったばかりの琢也君は腕を組んで目を閉じていた。運転中疲れた様子はなかったけれど彼が見せなかっただけなのかもしれない。

 

季節労働を取りやめ、かわりに白いたい焼き屋をやることを決めたのが先月末なので、それからあっという間に一ヶ月が経ったことになる。

さすがに一ヶ月もすると状況に慣れるもので、季節労働への未練もなく、僕たちはすっかりたい焼き屋オープンに向けてやる気に満ちていた。

 

運転席との間にあるカーナビを見る。車は愛知県に入るところだ。季節労働で訪れるはずだった静岡を通過し、僕たちはたい焼きの修行をするため琢也君の実家のある大分県へと向かっていた。

「はしゃぐのはいいけど、事故だけ起こさないでね。あまり飛ばさないように」

後部座席からミヤが本間君に向かって忠告した。たい焼き屋をやることに断固反対し、東京で他のアルバイトをする予定だったミヤもこの大分行きの車にしっかり乗り合わせていた。

明確な話はしなかったものの、この一ヶ月間、たい焼き屋の物件探しから契約まですべて一緒に関わってきたミヤは、このままの流れでともにたい焼き屋をやることになるだろうと僕は思っていた。「どうする?やっぱりやる?」と改めてミヤに聞くのもかえって水臭い気がして、そういったことはすべて成り行きに任せていた。

 

本間君の運転する車は他の車を追い抜いて深夜の高速道路を駆けていく。

一見すると本間君だけが浮かれているようだが、自分でも感じ取れるぐらい、車内の空気は全体的に軽快だった。

運転の交代まではまだしばらくあるが、助手席なので眠るわけにもいかない。ひさびさの長距離運転に目を輝かす本間君を横目に、僕はこの一ヶ月を振り返ることにした。

 

 

たい焼き屋をやることを決意し4月を迎えた僕たちは、まず店舗となる物件を探す事からはじめた。

開業に向けて大分の事務所との連絡が増えていくにあたり、琢也君からの提案もあって、僕たちは琢也君のお父さんを専務と呼ぶ事にした。

僕たちは一刻も早く候補地を見つけ、専務に東京に来てもらって物件を選定してもらう必要があった。白いたい焼きのブームが関東圏に及んでいない今、誰かが先に火をつけてしまっては大きな機会損失になるからだ。

 

専務から出された物件の条件は「(家賃面を考慮し)都心から外れた場所」「広さは10~15坪程」「人目につく視認性の良い場所」の三つ。その他の細かい箇所もいくつかあるが、それは候補が揃ったのちに専務が実地で検討するとのことだった。

とはいえ、三つの条件だけを並べてみてもいざ探すとなるとどこから調べていいのかがわからない。そもそも僕たち四人の中で東京に住んでいたのは僕と琢也君の二人だけ、それも一年そこそこ前に上京して来たばかりだ。土地に明るいものはほぼいなかった。

そういった理由もあり、僕と琢也君が住んでいた中央線を軸に、小田急線と京王線、それから西武新宿線や池袋線など新宿以西の駅を、大きいところから順に当たっていくことにした。

 

探し始めて分かったことだが物件を探すのには大きく二つのパターンがある。

ひとつは不動産屋に駆け込んで紹介してもらう方法、もうひとつは実際に町を歩いてみて「テナント募集」と書いてあるところに電話して聞き込む方法だ。

不動産屋の対応はまちまちで、次々に物件を紹介してくれるところもあれば、条件を聞くなり「紹介できるところはないよ。悪いけどほか当たって」とすぐさま帰されてしまうところもある。

一方で、そのように駅周辺の不動産屋をいくつ回っても出てこなかった物件が町中で突然現れることがある。

僕たちはその二つの方法のどちらもを取りながら、不動産屋を渡り、駅を跨ぎ、一日掛けて次から次へと物件を探していった。

食事と睡眠以外はほとんど歩き回るだけの生活。アパートも解約してしまっていたのでバックパックひとつにとりあえずの生活用品と服を何着か詰め込んでネットカフェや友人の家を僕らはそれぞれ渡り歩いた。

「物件は縁モノだからね」と何ヶ所もの不動産屋で言われたが、やることに変わりはない。とにかく僕らは素人だ。使えるものは今のところ時間と体力しかない。僕たちは二人ずつの組に分かれ、手当り次第に新たな駅へ降り立ち、少しずつではあるが手元に物件の資料を増やしていった。

 

そうして二週間が経ち、いくつかの候補物件の図面をもつ僕たちのもとに、大分から専務がやってきた。

専務との待ち合わせは候補地の一つでもある経堂駅で行なわれた。たい焼き屋の質問や物件探しのやりとりはすべて琢也君を介してしていたので、僕と本間君とミヤはお会いするのも話をするのもこれが初めてということになる。

琢也君から伝え聞いたかたちではあるが、「起業なんて絶対に無理だ」と声を上げて笑われ、「浮浪者と一緒じゃねえか」と罵倒されたことのある僕たちは、専務と会うのに身構えないわけにはいかなかった。その上、これからしばらくの間仕事上でお世話になる方でもある。ミヤのお父さんと会うときとはまた違った意味合いで僕たちは緊張していた。

 

「あっ!」

改札から少し離れたところで人を探している様子の男性をミヤが見つけ、小さく声を漏らした。琢也君がそちらに目線を移す。

「ん」と言って琢也君が少し背筋を伸ばすのと、こちらに気付いた男性が「おお」と言って笑顔で近づいて来るのはほとんど同じタイミングだった。

僕もそちらに向き直る。軽く息を吸い、挨拶するための準備をした。

僕たち四人が並び、その前にいまやってきたばかりの専務が立つ。本間君から順に、琢也君以外の三人が自己紹介をした。

「石崎です。今日はよろしくお願いします」

特別なことは何も言わず、僕はただ挨拶をして右手を差し出した。

「石崎君ね。お互いいいビジネスなるかもしれんからね。よろしく」

専務はそう言って満面の笑みで僕の手を握り返した。その様子は、琢也君の話す専務の姿とはどこか違うように思えた。

握手の感覚が残る右手を眺める。仮にも息子の友人たちと会うその第一声で「お互いいいビジネスになるかもしれんからね」とこうも軽やかに言えるだろうか。僕は不思議な興奮を感じた。

専務は「じゃあ早速行こうか」と言って、相変わらずの笑顔のまま琢也君に道案内を促した。本間君とミヤの表情を見ると、まだ緊張感を残しながらも、専務につられるように、表情には自然と笑顔が浮かんでいた。

 

始まりのムードこそよかったものの、僕たちの意に反し、候補に挙げた五件の物件に専務はどれも渋い反応だった。

僕たちが挙げた五件の物件は小田急線、京王線、横浜線、中央線、西武新宿線と全て別の路線上にあったので、一回一回大きな移動を重ねる必要があった。

日も落ちかけ、専務への手応えのなさもあいまって僕たちの気勢もすっかりそがれてしまった。ふたたび時間をかけ、また体力勝負の物件探しを続けなければならないのかと思うと頭が痛い。五件目の物件を見終わり、誰もが仕切り直しを予感したときに専務が言った。

「というか、あんたらが挙げたのはどれも駅前の物件ばっかりやけど、駅から離れてもいいから、車通りのある視認性のいい物件がいいんやけどなあ」

その台詞に僕たちは驚く。「たい焼き屋と言えば駅近の人通りの多い場所だろう」という潜入感でしか物件を探してこなかったからだ。車通りを重視するとなると、物件探しのそもそもから間違っていたことになる。

「視認性の話は琢也にもしといたはずやけどなあ」

と専務が言うので僕たちは琢也君の方を見た。

「ええっ。いや、確かに視認性の話は聞いたけど、車通りの多さとか、そういう風には思わんやん」

「うーん」とみんなで行き詰まってしまう。時間は17時になるころで、僕たちは八王子にいた。「今日は諦めましょうかという」の一言が頭によぎり、しかし声には出せない、そんな雰囲気。

そんななか、これまで目を伏せ口元に手を当てて考えていた本間君が顔を上げた。

「ダメもとでいいから、その条件で、いま繋がりのある不動産屋さんにもう一度聞いてみよう」

その提案を聞いて、ならば、とミヤが後に続く。

「回った不動産屋のなかで、一番感触がよかったのが今いる八王子の不動産屋なんだよね。電話してみようか」

そう言いながらミヤは携帯電話を開いていた。仕事が早い。「駅から離れてもいいので、車通りのある人目につきやすい物件」という新たな条件を電話先の担当に告げ、僕たちは八王子の不動産屋に再び向かうことにした。

 

不動産屋を訪れると担当の方が「ご連絡頂きありがとうございます」と丁寧に迎えてくれたのち、申し訳なさそうに一枚の図面を差し出した。

「お聞きした条件ですと、今はここぐらいしか。家賃は安いのですが、八王子駅と西八王子駅のちょうど間で歩くとなかなか遠いですし、たい焼き屋にはあまり向いてないかと……」

専務と僕たちは覗き込むように図面を見た。不動産屋に向かう間、僕は正直に言って諦めムードだった。いくら条件を変えたところで、二週間かけてよいものに出会えなかったのに、いまのこの一発目でピンと来る物件が出るわけが無い。それが当然の流れだと思っていた。

しかし、図面を見た専務の反応はこれまでと明らかに今までと違った。

「うーん。これは、面白い。これは、いいかもしれませんね」

そう言って不動産の担当の方に向き直る。担当の方も一瞬困惑したようだったが「ここなら今でも見に行けるので、ご案内しましょうか?」と提案してくれた。

驚いた僕たちは四人で顔を見合わせ、「お願いします!」と伝えた。

 

「うん、いいな。ここはなかなかいい」

実際に店舗を見た専務の反応は、やはりよかった。どの物件を訪れても曇った表情を浮かべていた専務の顔が初めて晴れた。専務は店舗内だけでなく、外観、そして近くの路地まで、担当の方が案内するよりも先に動き回って観察している。それは一日の疲れなどをまったく感じさせない機敏な動きだった。

専務が言うには、大通りから店舗脇に抜ける一方通行の細道がいいということだった。たい焼きを買うのに車でお客さんがやってくるイメージが上手く湧かない僕らは、「そうなんですね」と相づちを打つのが精一杯だった。しかも、駅前と比べると人通りはやはり圧倒的に少ない。専務を信用したくないわけではないけれど、どうしても半信半偽になってしまう。

しかし一日行動を共にした専務が、他のどの人通りが多い店舗でもなく、この場所に目を輝かせているのは紛れも無い事実で、それをとにかく信じよう、という話になった。

 

僕たちは担当の方に御礼を言い、物件を押さえる為の申し込み金を払い、図面のコピーを頂いて不動産屋と別れた。日もすっかり落ちて街は暗くなっている。僕たちは駅前まで戻り専務と共にご飯をいただくことにした。

「まあ、あそこの、八王子の物件でほとんど決まりやと思うけどな。一応持ち帰らせていただきます。本部にも相談しなきゃならんしね」

そう言う専務の顔を見ると、朝会ったときと同じくらい気持ちのよい笑顔だった。

 

ご飯を食べながらオープンまでの今後の日程を軽く話し合う。専務は働き方のこと、本業の焼き肉屋のこと、会社をはじめたばかりの頃のことなどを元気いっぱいに語り、気持ち良さそうにビールを飲んだ。

店を出て、駅で専務を見送った後で本間君が誰に言うでもなく言った。

「取締役ってのはすげえな。人を惚れさせる人だわ」

本間君の言う意味がとてもわかった。朝の場面でも、物件を見て回っている時でも、ビール飲んでいる時でも、その姿から活力を貰えるのだ。本間君に続いてミヤが口を開く。

「うん、琢也の話からだとmもっと厳しいだけの人だと思ってた」

「まあ、だいぶ丸くなったけどなあ。昔はよく殴られてたけん」

琢也君の方を向く。「俺は今でも親父の背中を追っている」と琢也君が前に言っていたのを思い出す。

専務の姿が改札の向こうで見えなくなるまで見送ってから、僕たちもそれぞれ帰路についた。

 

そんなふうにして、その更に数日後に通達があり、八王子の物件で開業工事を進めることが決まった。

物件の契約を進めると同時に、四人で住む家も八王子で決めた。川沿いのマンションの4DKで家賃は78000円。さすがに八王子ともなると家賃がぐっと下がる。固定費を抑えて貯金を増やしたい僕たちにとっては十分な条件だ。

たい焼き屋で借りる物件の賃料もあまりに安く、心配した専務が、僕たちに店舗の近所の家を回らせて、問題のない物件かどうかを聞き込みさせるほどだった。

物件の契約が終了するとすぐに業者さんの手が入り、たい焼き屋としてオープンさせるための改装が始まった。

 

 

その後、たい焼きの技術を学ぶために大分へと向かうまでの一週間、僕らはなにをするにも気力が湧かず非常にくすぶった状態にあった。

店舗の工事はすべて業者さん任せ。大分側での受け入れにも準備がいるし、一番忙しくなるゴールデンウィークに合わせて来て欲しいとのことだったので、力があり余る状態だった。とはいえ「ならばどこか遊びに行こう!」という気にもなれなかったし、派遣の仕事にも登録はしてみたが、すぐに仕事が紹介されるわけではないようだった。

仕事がなにもないという不安感。少しでもお金を貯めねばならないのに、ただ生活をするだけで貯金はどうしても減っていく。たった一週間とはいえ、そのストレスは思った以上に大きかった。

大分へと向かう車内の空気が軽快なのはきっとその反動もあるのだろう。この一ヶ月を振り返り、僕はそう思い当たる。

 

そんなふうに考えていると、後部座席のミヤがぽつりと話をした。

「この前実家を出るときにね、あるものへの感謝が足りないって言われた」

「うん」「そっか」と本間君と僕は振り返らずに聞いた。

僕たちがふだん当然あるものと思い込んでいるものも、誰かが、もしくは自分がどこかで築き上げたものだ。

無職になり、仕事もお金も社会的信用もなくなった今の状態で「あるものへの感謝が足りない」の言葉は胸に響いた。

これまで「考えが足りないんじゃないか」と何度も言われたけれど、その意味を本当に僕たちは理解しているのだろうか。そんな考えが頭を掠める。

本間君が運転席から前を見たままで言う。

「でも後悔することはないよ。そこからはなにも生まれないし、今はもう進むしかない」

「うんわかってる」

ミヤが答える。

「そのぶん、これから俺たちの周りに生まれるものにしっかり感謝をしよう。関係でも、なんでも。置かれてる状況や環境を当然とは思わない。いつか足下をすくわれないように」

立ち止まっているとどうしたって不安になる。僕らの間に溜まりそうになっていた不安を吹き飛ばす意味でも、軽快さは必要だったのかもしれない。

それ以上、本間君もミヤもその話はしなかった。車はスピードを上げ、大分へと向かう。

 

 

※この記事は当時書かれていたブログや日記を元に、また新たに書かれています。