STORY

第14話 | 2009年5月6日

大分に着いたのは午後になってからだった。五月の麗らかな陽気の中、のどかな景色の県道を走る。長時間の運転のわりに、みな疲れはさほど感じていないようだった。琢也君以外にとっては初めての土地で、軽い興奮状態にあるからかもしれない。

まさかたい焼き屋でお金を稼ぐことになるとは思ってもみなったものの、ようやく起業に向けての第一歩が踏み出せる。そういった高揚感もあった。

 

大分市内に着いた僕たちは車を停め、ひとまず琢也君の実家にお邪魔させてもらうことにした。

玄関にいた柴犬が琢也君に気がつきすっくと立ち上がる。琢也君も「ダンク〜!」と名前を呼んで駆け寄っていった。今までそんな琢也君のそんな嬉々とした表情を見たことがなかった僕たちは彼らのじゃれ合いを微笑ましく眺めたあとで家の中に入った。

 

リビングで荷物の整理をさせてもらっていると、間もなく琢也君のお母さんが帰ってきた。

琢也君の父が専務を務める会社は本業で焼肉店を数軒営んでおり、琢也君のお母さんも日々店舗に入って忙しくしているとのこと。今日は僕らの到着に合わせて店を一時離れてきてくれたとのことだった。僕たち三人は立ち上がってひとりひとり挨拶をする。

「いらっしゃい。仕事やけんな、慣れんこともあるかもしれんけど明日からたっぷり働かんといけんよ!」

一音一音はっきり発音される、はきはきとした言葉遣い。全員に笑顔を向けるようでありながら、ひとりひとりに目を合わすような話し振り。僕たちは自然と襟を正す。

琢也君のお母さんはとても溌剌としていて、それに引っ張られるように体の中から気力が込み上げてくるようだった。

それから琢也君のお母さんはなにかを考える仕草をする。

「なんち呼んでもらうのがいいんやろう。あ、私のことね。一緒に働くこともあるやろうけん」

僕たちには答えられる質問ではないような気がして琢也君の方を向く。が、琢也君はそこに助け舟を出すつもりはないらしく無関心な顔をしていた。

「普段は『ねえさん』っち呼ばれよんのやけどね、でも琢也の友達やけん、ねえさんっち言うのもねえ」

大ヒントである。ハッとして本間君の方を見る。

「ねえさん。ねえさんでお願いします!」

案の定、得心した様子の本間君がそう答えた。僕もそれしかないと思う。誰が名付けたのか知らないが、「ねえさん」がしっくりき過ぎていた。

ねえさんは「そう?」と言って少し照れた風にふふんと笑った。

 

それから僕たちは、たい焼きの研修先となる乙津店へと見学のため出掛けた。

全国に増えつつある白いたい焼きチェーンの中でも日本一の売り上げを誇るという乙津店が一体どんな店舗なのか、どんな立地に在るのか、道中思いを巡らせた。乙津店の様子はこれまで琢也君から(正確には専務から)話を聞いているだけで、写真すら見たことがなかった。

 

「あ、あれやな」

と運転席の琢也君が言う。

まだずいぶん距離があったが、僕たちはそこに確かに店があることを認めることができた。

他にはなにもない、だだっぴろい駐車場のような敷地のなかに、やけに大きくてカラフルな看板を掲げる物件と、そこにずらりと並ぶ何十人の行列が視界に入るからだった。

「うわ、すごい」

思わず声を漏らしていた。物件探しのときに専務がこだわった条件「車通りのある道沿いの視認性のいい場所」とはこれか、と思い知らされる気分だった。

 

駐車場に車を停めてから改めて物件を確認すると、スーパーハウスというのだろうか、店は二つ並んだただのプレハブ小屋だった。二つのプレハブのうち、道路側にある方の箱で商品の提供を行っているようで、大きな看板のほかにも、商品のパネルやのぼりで装飾がされている。

聞いていた通り、中にも外にも座って食べるようなスペースはなく、大きめに開口した窓で注文を受付け、商品を渡しているだけだった。会計後は横にずれて順番を待ち、呼ばれると中から商品が渡される。そういうシンプルなシステムでたい焼きは提供されていた。道路側とは逆の、もう一つのプレハブの方でたい焼きがせっせと焼かれてる。

 

外からの見学を終えた僕たちは裏口の方へとまわり、乙津店の店長に挨拶をした。

店の中から登場した店長は岩本さんという名前らしく、がっしりとした体躯で、「店長」という肩書きが似合っていた。岩本店長は元は焼き肉屋の方で働いていた社員さんとのことで、琢也君とももともと知り合いなのだという。

岩本店長とはほとんど挨拶だけになってしまったが、「だはは」という笑い方で笑う豪快な人だった。そして、専務やねえさんと同じような眼光の鋭さがある。

明日から僕たちは岩本店長の元で7日間修行することになる。ねえさんがはじめに言ったとおり、たっぷりとした、甘くない研修期間を過ごせそうだった。

僕たちはそれから一度桐村家に帰り、専務やねえさんとともに夜ご飯をいただいて早めに就寝した。

 

翌朝、僕たちは起きてすぐ、昨夜下ろしてもらったばかりの黒地のTシャツに着替えた。背中には赤の文字でお店の名前、胸のあたりには握り拳ほどの大きさでたい焼きのイラストがあしらわれている。

「朝準備して仕事に出かける」というのがまず一ヶ月ぶりだ。緊張感はあったが、会社に向かうときとはすべてが違うよう感覚だった。腰に巻くサロンと頭に巻くタオルをそれぞれに準備し、僕たちは四人で車に乗り込んだ。初日ということでねえさんも同行してくれた。

 

乙津店に着くと外に岩本店長が居たので、僕たちは並んで挨拶をした。

「おはようございます。今日からよろしくお願いします」

「おーう。びしびし行くけん頑張ってもらわんとなあ」

じろり、とこちらを覗きこむようにしてから岩本店長は不敵な笑みを浮かべる。既に伸びているはず背筋がさらに伸びる。

店長はその後すぐに「なあ琢也?」と琢也君の方を向き、先ほどよりも人間味のある表情でニッと笑い、続けて「だはは」と声を上げた。

こういったやりとりが恒例なのか「はい」と返事した琢也君も、声こそ出さないものの楽しそうに笑っていた。もしかすると岩本店長はこう見えて案外お茶目な人なのかもしれない。

 

僕たちは店内に入りパートさん達にも挨拶をした。中では数人がすでに開店の準備をはじめていた。

たい焼き屋というと、「注文が入ってから焼いて提供」という流れをイメージするが、僕たちが説明を受けた白いたい焼き店の営業はそれと全く異なる。「冷めても美味しい」とキャッチコピーで謳われる白いたい焼きは、基本的には冷めた状態で提供するとのことだった。

昨日の時点で実際に冷めているものと温かいものの二つを食べたが、確かに冷めた状態でも美味しいし「たい焼き」の先入観を忘れ、まったく新しい食べ物として食べると、むしろ冷めた状態の方が味とマッチしている気がした。

そんな理由もあり、店舗自体は11時からのオープンにも関わらず、朝8時から順次たい焼きを焼き続け、冷まし、注文後すぐに提供出来るように一定数を仕込んでから開店を迎える。

実際問題、その時間から仕込んでおかなければ提供が間に合わず売り切れ状態になってしまうということにも驚かされるし、すでにつくったものを提供するだけの状態なのに、店外にあれだけの大行列を作っていることもまたすごい。

 

パートさんたちへの挨拶を終え、8時をちょうど過ぎたぐらいの時間になった。僕たち四人は岩本店長の指示でまず二人ずつの組みに分かれた。

本間君とミヤがねえさんから会計と商品提供の仕方を教えてもらい、僕と琢也君が店長から生地の準備やあんの補充など、焼き手の補助となる動きを教えてもらう。当たり前だが、いきなり焼かせてはもらえない。提供のプレハブが道路側、たい焼きを焼くプレハブが裏手側なので、僕たち四人は空間ごと二手に分かれるかたちとなった。

裏手側のプレハブに入ったあとで、ミヤと本間君がいる道路側の店舗をちらと伺うと、

「やっぱり俺たちは支える側やな、いっしー」

と琢也君が得意満面といった様子で語った。琢也君が楽しそうだったので「そうだね」とだけ答えておいた。

 

補助の動きは実際にすべてこなすとなると、文字通り目が回るようだった。

たい焼きの「耳」と呼ばれる余分な皮の部分を切って商品を準備をしているうちに、焼きに必要な生地が無くなる。粉を出して生地の準備をしていると、今度はたい焼きの中身となる餡のストックがなくなる。袋を切って餡のストックを作っていると耳を切らねばならないたい焼きが机の上にずらりと並んでいる、という状況が繰り返し何度もやってくる。

裏手側では次々にたい焼きが焼かれており、僕たちはとにかく同じ動きを繰り返すことで業務を身体に叩きこんでいくしかなかった。

 

はっと気がつくと開店の時間が迫っており、パートさんの数は道路側の店舗にいる人もふくめ10人を越えていた。

10坪もないプレハブに10人以上が詰め込まれ、流れ作業を行っている。たい焼き屋というよりも小さなたい焼き工場と表現した方が近い、と僕は思った。

 

開店時間の11時が過ぎ、忙しさはさらに苛烈を極めた。外の様子を確認しにいく余裕はなかったが、店長の話ではもう結構な数の人が並んでいるらしい。

たい焼きを受け渡すため道路側の店舗に行くと、ミヤが商品をパックに詰めるために動き回っている。注文票を確認しながら、いろんな種類のたい焼きが横一列に並ぶ3Mほどの距離を行ったり来たりする動きは複雑な反復横跳びのように思えた。本間君はレジに立ち接客をしていたが、深刻に似合っていなかった。

 

夕方になってから僕と琢也君もレジと提供を覚え、ミヤと本間君が補助をこなし、全員が焼き以外の一通りの仕事を教えてもらったところで閉店時間を迎えた。しかし、閉店時間の19時になってもお客さんは来続けており、結局営業時間を30分伸ばしてから岩本店長の指揮で店を閉めることにした。

僕は今日覚えたことを思い返そうと思い一日を振り返ってみたが、特に午後になってからは忙しさのあまりほとんど自動的に動いていたので、具体的な内容がよく思い出せなかった。

暗くなった駐車場のほうを見てタオルを外す。一日目だというのに生地や餡が飛んでサロンやTシャツはひどい状態だった。

 

「どうやった、いっしー?疲れたか?」

一人でひと息ついていることろに、後ろから声を掛けられた。岩本店長だ。

これから東京に戻って自分たちで店をしなければならないのに、一日目から「疲れました」なんて言うのは気合いが足らないような気がした。が、そこで虚勢を張る元気もなかった僕は「いやあ、ははは」と苦笑いではぐらかした。

店長は僕の心持ちを察したのかそれ以上は何も言わず少し間を置いて「だはは」と笑った。

変な話だが、それでなんだかほっとしたところがあった。岩本店長はなにか安心感を与えてくれる人だった。

僕らは最後にロスになった白いたい焼きを二つ貰い、半分ずつに割って食べた。昨日試食した味と変わらないはずなのに、疲れているためか甘さがじわりと染みた。

 

 

そうして一週間が過ぎ、遂に研修の最終日を迎えた。

ゴールデンウィークを挟み、乙津店は相変わらず売れ続けていた。個数で言うと毎日2000個を優に越えるペース。雨の日であっても傘を差してお客さんが並ぶほどの繁盛っぷりで、一番売れた日はなんと3000個を越えていた。単価が平均120円だとして、一日で36万円を売り上げている計算になる。

そんな忙しさの中、僕たちは昼休み以外ほとんど休憩も取らずに、毎日8時〜19時まで7日連続で働いた。さすがに昨日あたりから、それぞれ体になんらかの異常を来している。

ミヤは段差の上りがつらいぐらい足に疲労を感じていたし、琢也君は後半毎日腰の痛みを訴えていた。僕は右手が軽く硬直したようになっており、握ったり開いたりがうまくできないほどだった。

 

唯一体調万全で乗り切るかに見えた本間君も、研修最終日は朝からどうも元気がなかった。

昼どきが過ぎて、おやつの時間を前に忙しくなる午後二時過ぎ、店内がバタバタとしてくるさなか、たいやきの耳を切っている僕を本間君が呼んだ。

「いっしー!」

なにかトラブルか、と思いながらも忙しさのピークにいた僕は

「なにー!」

と言葉だけで応じた。

「俺、研修終わるの、寂しい……」

家に帰ってからやってくれ!と思ったが、なるほど朝から元気がなかったのはこれが原因かと思い当たる。体が元気ならよかった。

 

さて肝心の研修の成果はというと、焼きの技術にはまだ若干不安が残るものの、提供とレジ、補助については問題なくこなせるようになってきていた。

それぞれ業務への得意不得意はあるが、実際に東京で店を始めてから慣れていけば十分だろう。八王子店オープン後の一週間は専務やねえさんが手伝いにきてくれることになったので、その点も安心だ。

ただその一方で、仕事に慣れたら慣れたで「あのやり方はどうだ、もっとこうした方がいい」などと、僕たちは他の三人の動きが気になるようになっていた。

口に出す出さないに関わらず、なにかしら疑問や不満を持っているときは、仕事中であっても雰囲気でわかる。個人のやり方への不満をきっかけに、空気がどんどん悪くなっていく。僕たちには、悪意を感じさせず正しく意見する技術も、変に深読みせず言葉を額面通りに受け取る器量もまだないのだ、と改めて気づかされる。

もちろん店の忙しさのせいもあるけど、上下関係がないのもこじれの原因だろう。お互いのプライドがどうしても邪魔をして、だんだん真っ当な意見交換ができなくなっていった。

 

そんな不恰好な仕事の仕方や、僕たちのちぐはぐした関係を解消してくれていたのは、岩本店長やパートさんの存在だった。

店にとっては足手まといでしかない僕たちを厳しく温かく迎え入れてくれた乙津店の人たちは、クレームにつながるような失敗があったときも、そのことに対して、からりと率直に叱る。

仮に僕たちしかいない状況で同じことが起こったらそうはいかないだろう。失敗そのものに対してではなく、その人に対して問責してしまうような気がする。

 

「店っちゅーのも、最終的には人間性やけんな」

研修最終日の片付けを終え、岩本店長がそう話をしてくれた。

その言葉を受けた僕たちは、帰り際、自分たちに余裕が無くなっていたことと、そんな僕たちを店長やパートさんが引っ張り上げていてくれたことに関して、それぞれ意見を出し合いながら振り返った。

 

僕たちは、一日目から最後までずっと「シャキッとせんか!」と伝えられ続けていたように思う。言葉で言われたわけではなく、みんながそうやって仕事をしているから僕たちもそういう気持ちになる。不器用でも、個々人一生懸命にやるのがいい。誰のやり方がどうだとか、ぐじぐじと思っていることがどうしようもなく格好悪い。

気持ちのいい空気が乙津店に流れているのはそういうわけなのだろう。最後になってやっとわかった。

僕たちは店を出る前にお世話になったパートさんたちにそれぞれ手紙を書き残した。

「なんだか子どもっぽいかな」と僕が言ったが「いや、これが一番伝わるでしょ」と本間君が言った。ミヤと琢也君も同意した。

 

その後桐村家に寄って、専務とねえさんと岩本店長とで飲みに行った。琢也君の二人の弟も一緒にやってきた。

専務は相変わらずビールを気持ちよく煽り、「波瀾万丈じゃねえと人生面白くねえ。一回ぐらいやってみろ」と豪語した。僕たちはそれをエールとして受け取り、本間君が笑って「はい」と答えた。

七日間で学んだのはたい焼きやの運営だけではない。専務とねえさんから、どんな経営者のもとに人がついていくのか、背中を見せてもらった気がした。

 

「昔ね、ちょっと専務と言い合いになったことがあったんよ」と、宴席でねえさんが話を切り出した。ねえさんは自分の夫である専務のことを「専務」と呼ぶ。

「結婚した当時はほんとに忙しくて、子育てしながら、店で一緒に働きながら、従業員のパンツまで洗ってたんよ」

ねえさんが話を続け、僕たちは頷いて聞いていた。

「そんな生活が嫌になって『私はなんのために結婚したん!?』っち聞いたんよ。そしたらこの人『そんなもん従業員のためじゃ!』って!!」

琢也君は笑っていたが、僕たちは笑っていいのかわからず面食らってしまった。

「専務は家族と従業員を食わせるためにほんとに誰よりも頑張っちょったんやけど、不器用やし怒りっぽいけんね。私はよく喧嘩して泣きよった。けど当時頑張ったけん、いま幸せに暮らせるんよ」

ねえさんは嬉しそうな話し振りだった。専務はなにを言うわけでもなく、ただ笑って聞いていた。

 

酒の席が盛り上がってきたあたりで琢也君がトイレに立った。しかしなかなか戻らない。遅いな、と思っていると察した様子のねえさんが言った。

「煙草吸っちょんのやろうね。今になっても絶対専務の前じゃ吸わんよ」

「吸いよんのはわかっちょんのやけどな」

専務もそう言ってふふふと小さく笑っていた。

 

その様子を見て、すごく「家族」を、僕は感じた。

店が最終的に人間性だというのなら、その温かみの源はこういうところにあるのかもしれない。

専務の会社は、専務を含めた兄弟三人が取締役となり動かしている。家族なりの兄弟なりの結束というのがあるのだろう。もちろん、だからこその難しさも。

ならば僕たちは一体どういうチームになるのだろう。研修を終え、僕たちはもうすぐ東京へと帰る。

 

 

※この記事は当時書かれていたブログや日記を元に、また新たに書かれています。