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Hostel, Cafe, Bar, Dining in Kyoto.

Guesthouse and Bar in Kyoto.

笑い声と共に思い出すもの(2014.12.12 京都店決起会)

先週半ばから数日間、約一ヶ月ぶりに京都店に行って来た。週末にはちょうど現場で大工さんや業者さんを含めた決起会が行われるというので色んな意味でタイミングがよかった。

ishizaki

written by:
石崎嵩人…Backpackers’ Japan取締役。2010年に代表の本間他役員二名と共に会社を創業。デザイン広報ウェブを含めた情報発信の担当。

 

 

決起会は現場が片付いた19時頃から始まり23時前まで続いた。

会には今回現場を引っ張っていってくれる棟梁のなべさんとくわさん、それから川島さん、よもさん、れいこさん、ヒロさん、ゲンさん、マーシー君など馴染みの大工さん達、今回初めて仕事を共にする小竹さん、りゅうさん、ぬまっち、そして建築士の広一郎さん、現場監督の近藤さん、工務店の岩村さんの顔が並んだ。

大工さんたちに改めて宜しくお願いしますと伝え、缶ビールをカツンと当てる。なべさんやくわさんがニッと笑う。またこの場所に帰って来たんだな、と僕は思う。

 

現場には大事なことが詰まっている。当たり前の話だけれど、工事の現場は準備段階ではなく一発勝負の本番だ。

京都に来て初日、工事中の店舗に着くとヒロさん、ゲンさん、マーシー君が迎えてくれた。挨拶をするために大工さんたちは作業の手を止め、お互いに過剰ではなく頬を緩める。握手をするときの、その嬉しさとちょっとした緊張感。

階段を使って三階へ上がると、そこでリンちゃんに会った。

 

「京都店へ、ようこそ!」

 

僕らを見つけるなり、リンちゃんは屈託なく笑ってそう言った。埃や塗料で汚れた作業用のマウンテンパーカーにその笑顔は余計に映えた。ほんの数ヶ月前まではNui.で働いていた彼女も、もう既にここを自分の場所にしているのだ、ととても頼もしく思えた。

各階の様子を伺いながら、古里君(京都店ラウンジマネージャー)、あいちゃん(京都店ホステルマネージャー)、タケト先輩(京都店キッチンチーフ)と順に会う。みんなそれぞれマスクやタオル、つなぎなどの作業着に身を包み、宿泊フロアの壁の養生をしたり壁を塗ったり、各々の作業をこなしていた。

一月前とは違う風景。これから工事は日々完成を目指して動いていくのだ。その実感は今回そのようしにてみんなに会ったときからあった。

 

決起会と大仰な名前がついてはいるが、つまりそう言った実感を、「始まるぞ」と言うことだけを、いま京都にいるメンバーで共有するための時間のように思えた。東京からは本間(代表)と宮嶌(COO)も駆けつけた。

その夜も冷え込んだが、会場は工事中の現場で行う事にした。それは当然の成り行きでもあった。現場だからこそ、僕たちと大工さんたちはお互い自然に振る舞えている気がする。

本間は同い年のマーシー君と肩を組み、現場監督は僕らに自分のヘルメットコレクションの話をし、 大工さんの何人かは足場板に乗ってサーフィンの講習会をした。遠くの会話は笑い声以外に聞き取れない。高らかに笑う人たちとそれを笑顔で見つめる人ばかりで構成された暖かい空間に、投光器の明かりはとても似合った。

 

あの場所には僕たちの過去と未来が目一杯詰め込まれている。これまで何度も話した人、今日また新たに話す人、似たような景色だけれど決して同じではない時間がそこには流れていた。

ここからまた始まる。知っているけど普段忘れてるなにか、決起会の風景がそれを思い出させてくれる気がした。こうして顔を合わせて笑い合うことが、一緒に仕事をさせてもらう中でどんなに大事だろうか。そんなことを思うとじんとした。

 

もう一つ、今回京都に行って思い出した事がある。

決起会の前日、一緒に飲んでいたなべさんと煙草を吸いに外に出た。その時の話の中で、

 

 「もうそろそろ、あいつに頼ってばかりいるわけにはいかない」 

 

というようなことをなべさんは言った。あいつというのはゲストハウスtoco.を作っている最中に亡くなった大工さんのことで、生きていれば37歳になる。それからあっという間に4年が経ち、僕らは29歳になったしなべさんは45歳になった。

なべさんはたまにこうして、他ではしないような話をしてくれることがある。僕には言っていることの意味がすごくわかったし、その通りだと思った。そしてそれが今回のなべさんの覚悟と挑戦なのだと思った。

そして、ああ、と思い出す。今まで僕たちが立ち会って来た工事の現場は、笑い声と共に、たくさんの葛藤や懊悩を抱えた場所だったということだ。

toco.もNui.も工事のことは思い出として昇華されてしまっているけど、確かにそこにはそれぞれの苦心と歯痒さ、そしてその分の決意と覚悟があった。僕たちも、大工さんたちも、一人一人がなんとかそれを突き詰めようとして、人間が生きている場所だった。

 

「たまに来るんだからはしゃいだっていいんじゃねえの。その方が俺たちも元気貰うし」となべさんは言ってくれたけど、それは手綱を緩めてもいいということではないだろう。祭りの場ではないのだから。

進んでみたら押し戻されたり、立ち止まっていたら置いていかれそうになったり、その中で自分の立ち位置を見つけていかねばならない。

目の前で起きたことだけでなく、自分の弱さに向き合い、ときには信念にも立ち向かわねばならない。店を作るのは、大変だ。

 

京都という場所だから、重心を低く、腰を据えて作っていきたい、進んでいきたいということを初め本間が言っていた。

そうしていきたい。慣れる事は必ずしも成長することではない。東京に戻って来てから、そんなことを考えている。

僕たちの三店舗目は、あの場所での、あの人たちとの一店舗目なのだ。決起会の思い出と共に、その緊張感をしっかり刻もうと思う。

 

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