作品をつくる代わりに

(2016.10.27)

 

工事の進め方が毎回変わっていく。

 

とある夜、改装工事をお願いする渡部屋の親方、なべさんと現場で話し込んだ。二人でゆっくり話すのはそういえば久しぶりかもしれない。近くのスーパーでつまみを買い込んだ。

なべさんとも付き合いも今年で七年目になる。初めて出会った頃僕たちはtoco.(ゲストハウス一号店)の工事をしていて、その時に亡くなってしまった棟梁に代わって、なべさんは工事の指揮を取るため現場に入ってくれた。その頃のまだなべさんは屋号をつける前で、僕らも一応法人にはしていたものの、実態はただ名前がついただけの集まりだった。この六年で僕たちはよっぽど会社らしくなり、なべさんは大工仲間と「渡部屋/わたなべや」を立ち上げた。

 

「今回は俺たちが寄り添おうって決めてるからさ」

 

世間話をしながら一時間ほど話した後、なべさんが穏やかな表情で言った。工事の段取りの話である。

 

「toco.の時は古民家だったし、Nui.の時はまだどんなものを作りたいか見えてなかったから俺たちが引っ張らせてもらったけど、どんなものを作りたいか、もう自分たちで見えるようになってるみたいだから」

 

確かにそうだったのかもしれない。Nui.を作っている頃、僕たちは好みを伝えるか、もしくは、とにかくヘタクソにでも、工事と直接関係ないことでも、周りの人たちとただ話をすることしかできなかった。そこには常に解釈をしてくれる人がいて、実践があった。

 

 

そんな風に付き合って来たなべさんが「今回は寄り添おうって決めてる」と言ってくれたのは嬉しかった。そしてこの先も関係は続くよ、みたいな言い方だった。

 

「そりゃ知らない人だったら『じゃあ俺たちがやらなくたっていいよ』と思うかもしれないけど、もう関係があるから。今回はこんな風になるかって思って見ていきたいし、それに、もしかしたら、今回の工事は俺たちにしかできないかもしんない」

 

だはは、となべさんは笑った。僕はありがとうございますと伝えた。こういうなべさんの大きさに、時々ものすごく心打たれてしまう。その後は、僕は会社の話を、なべさんは渡部屋の話を、それぞれのペースで話した。

 

 

「さあ何をどう作ろう、俺たちは全力で応えるよ」というなべさんたちの決めた姿勢に、僕らはかえって何で以て立ち向かえるのかと思う。

 

僕たちの中には「作品を作ろう」という気持ちはない。ぜんぜん、全くない。手に取ってじっくり見てもらって、他と比べて気に入ってもらって拍手してもらうとか、そういうことをまるで思っていない(そうしてくれる人がいたらもちろん嬉しいけれど)。

これはtoco.の時から変わっていないし、きっと「作品を作る」という心持ちは、僕たち側ではなくて、デザインや施工をする人が思いを掛けてくれる事の最上級の表現であり、矜持なのだろう。

 

では作品を作ろうと思ってるわけじゃない僕らの拠り所は一体どこだろう。何に突き動かされ、何に立ち返ればいいだろう。

 

少し前に「場づくり」という言葉をよく聞いた時があった。僕たちはなんとなく性に合っていない気がしてその言葉を使わなかった。取材の時なんかに「場づくりですね」と言われたら「いや、それはきっと違いそうです」と返すぐらい気を付けていた。同じように「文化をつくる」というのも、僕たちが背負うには違和感がある。

本間君と話した中で今のところ一番しっくりきたのは「風景をつくる」という表現だった。風景が生まれるでもいい。理想とする景色があって、それが生まれるにはどうしたらいいかを考えるのは、概ね風向きが合っていそうだ。

 

内装や席の区分けを考えるにあたって、本間君が「緊張するよ」と言っていた。短いけれど、これ以上ないほど正直な言葉だなと思う。自負と責務の天秤。

 

自分たちの「新しい店に向けての思い」は、それぞれの専門分野において特に、誰も代弁してくれなそうである。その代わり、好みしか話せなかった頃よりは、それぞれのメンバーが主義主張を語れるようになってきたし、幾分正直に話せるようになってきた。

どんな風景を理想とするのか、もっと、まだ、もう少し、立ち上げに携わるメンバーで話をしていって良さそうだ。そんな風に思っている。

 

 

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渡部屋(左から)ひろさん、なべさん、げんさん

 

(文:石崎嵩人)