行きつけの店と知らない町

(2016.08.07)

行きつけの店というのに憧れる。

行きつけの喫茶店、行きつけの居酒屋、行きつけのバー…なんて甘美な響きだろう。

 

仕事帰りに「前を通るだけ」というつもりで向かって、やっぱり暖簾をくぐってしまう。ドアを開けると女将さんがこちらに気付いて表情で挨拶してくれる。テーブル席を見遣るとどうやら小さな飲み会が二件。少し忙しそうだ。

 

カウンター席にはまだ余裕がある。真ん中より少し左の、よく座る辺りを目指して歩く。女将さんがテーブル席に料理を運びながらビールでいい?と聞いてくる。僕は「はい」と頷く。きっと、ビールを飲みたい日じゃなくてもそう答える。

 

少し落ち着いて来た辺りでご主人が僕の方に顔を向けて尋ねる。料理はご主人の担当だ。

 

「待たせちゃって悪いね、何にする?今日のオススメはねえ」

 

もちろんそれを頼む。いきつけのお店にははじめから選択を放棄してもいいぐらいの信頼関係がある。そうに違いない。

そして後からやってきた僕よりも馴染みのおじさんが「ええ、オススメ、もう終わっちゃったの」とまるで子供のように嘆く。僕は「よかったらどうですか」と自分の分を勧める。いや君はもっと食って僕のように太りなさいワハハと笑われる。そうだ。そうに違いない。

 

 

四号店を構える東日本橋は、知らない町である。二号店Nui.がある蔵前から近いにも関わらず、である。どれぐらい近いかというと浅草線で数えて二駅。駅間の距離も短いので乗車時間はなんとたったの3分である。3分。

にもかかわらず、僕は東日本橋のことを知らない。手前の浅草橋まではよく行くのだけれど神田川を渡ればその先は別の町という“感じ”がある。おまけに区まで変わってしまう。

しかしながら、僕が東日本橋という場所に未接続であることに対し、悪い気持ちを一つも持っていない。軽薄にもラッキーという気持ちさえある。これからどんな町かを知ることができるからだ。その経過を思うと楽しみで堪らない。

 

知らない町が好きだ。

そこにはどんな人が住み、日々通い、どういった風に暮らしているのか。好きになる喫茶店はあるだろうか。居酒屋は。バーは。

そんな風に、町のそこかしこを見ながら、少しずつ場所と繋がってゆくあの感覚が好きだ。いつの間にかお邪魔させて貰っている気持ちが薄れ、自分が町に、もしくは町が自分に馴染んで行く。

 

旅行先でも、長く滞在したり何度も訪れたりすると同じようなことを思うけれど、生活の基盤が生まれるとなると話はまた変わってくる。そこで暮らすことにならなければ覗きもしないであろう店が、話をすることのない人が、町にはたくさん存在するからだ。行きつけの店って、きっとそんな場所に生まれるのだろう。

 

さて、一方で僕たちは、町の人たちにとっての行きつけになれるだろうか。

新しい場所に踏み入れる時はマナーが大切だ。旅行をするときでも、訪れる側の心待ちこそが大事。居を構えるなら尚そうあるべきだろう。そして礼は自分の為でもある。

その上で、周りのお店や訪れる人とも、働くようになるスタッフとも、肩肘張らぬ交流がしていけるといい。礼を以て、互いを尊重して、あとは目配せで通じ合えるような。そんな行きつけの店みたいになれるといい。

 

 

文:石崎嵩人